川上峡合戦

From Wikipedia, the free encyclopedia

川上峡合戦
戦争戦国時代
年月日永禄4年 9月13日1561年10月21日
場所佐賀県佐賀市大和町大字川上
結果:龍造寺軍の勝利
交戦勢力
龍造寺 神代軍
指導者・指揮官
龍造寺隆信
龍造寺長信
納富信景
神代勝利
神代長良
八戸宗暘
戦力
8,000 7,000
損害
不明 壊滅

川上峡合戦(かわかみきょうかっせん)は、永禄4年(1561年9月13日に起きた肥前国の戦国大名・龍造寺隆信軍と肥前三瀬城主神代勝利軍の戦い。

天文22年(1553年)に肥前に復帰を果たして以降、龍造寺隆信は肥前の覇権をかけての少弐氏との戦いを優位に進め、永禄2年(1559年)には勢福寺城を陥落させ、少弐冬尚を滅ぼした。 しかしながら、肥前の山内二十六ヶ山の頭領である少弐家臣、神代勝利の勢力は未だ隆信に服せず抵抗を続けており、隆信は東肥前統一への仕上げとして神代勝利の討伐に本格的に乗り出すこととなる。

隆信の挑戦状

隆信は永禄元年(1558年)にも勝利討伐の兵を山内に差し向けたことがあったが、逆に山内の地形を熟知した勝利に鉄布峠の戦い小河信安石井兼清ら重臣を討たれるほどの大敗を喫し、辛酸を嘗めた経験があった。

その為、勝利を破るためには平野部に誘き出す必要があると考えた隆信は、勝利に使者を送って「合戦して家の安否を定めたい」と正面から挑戦状を突きつけると、勝利は「かねてより望むところ」と返答し、9月13日に川上辺(現川上峡近辺)にて兵を率いて見参し、雌雄を決する戦を行うことを約した。

川上峡合戦

戦後の情勢

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI