龍造寺胤久
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胤久の誕生と少弐・千葉氏
肥前国国人・龍造寺氏15代当主・龍造寺家和の子として誕生といわれる。正室は龍造寺胤家の娘・賀昌院。
龍造寺氏は室町期には豊前国・筑前国・肥前国の守護であった少弐氏に従う国衆であった。しかし、室町期から度々続けられる、周防国の守護・大内氏との戦いにより少弐氏は次第に勢力を減少させており、少弐氏は龍造寺氏を積極的に参戦させ、大内氏に対抗していた。村中龍造寺氏、ひいては龍造寺氏として初めて、史料上から明確に当主と確認できる人物が、家和の次男として生まれたらしい新次郎、後の胤久であった。
次男であったが、兄・胤和が早世したため、その未亡人を娶り家督を継いだ[2]。
永正11年(1514年)、新次郎は西千葉氏当主・千葉胤勝から偏諱を受けて胤久と称する[3]。
永正18年/大永元年(1521年)1月には胤久は胤勝により民部大輔を吹挙されており[4]、享禄3年(1530年)には胤勝から、佐賀郡与賀庄1000町6郷を与えられた[5]。龍造寺氏が西千葉氏との主従関係を築いていることの原因として、宮島敬一は、西千葉氏は、大内氏に擁立されている東千葉氏と敵対し、少弐方として行動しているため、少弐氏傘下の龍造寺氏も、西千葉氏に従属するようになった、としている[6]。胤久が偏諱を受けたことも、この主従関係の一端を示すものであった。
ただし、東千葉氏との関係が全くないわけではない。大永4年(1524年)3月には千葉興常からは佐賀郡尻田分60町、同郡千数30町、小城郡大寺36町、同郡別府20町(ただしこのうちから、岩部分20町、佐賀郡大宝40町、千住12町、諸富12町地をのぞく)地を与えられている[7]。中村知裕は、同年は大内・大友両氏間では一時的な対立関係の解消に至っていることから、東千葉氏からも龍造寺氏への所領宛行が遂行できたのではないかとしている[8]。
大内氏・少弐氏間での戦争
享禄3年(1530年)、千葉興常が大宮司を務める肥前国與止日女神社(河上社)が造営され、それを示す棟札が作成された[9]。胤久も、一族の龍造寺家兼・家門父子(水ヶ江龍造寺)、同左衛門大輔、同兵部大夫盛家(与賀龍造寺)と共に造営料を寄進していることが分かる。
このころ、大内氏・少弐氏との間では、享禄年間から天文年間まで続く戦さが行われていた。胤久も千葉氏の家臣として、この戦さに参加していくこととなった。
享禄2年(1529年)、龍造寺家門は胤久に対し、不審は遠慮せず尋ねるべきこと、一族が同心するべき時であること、永代に親しい関係を築くべきことを誓った[10]。また、翌3年、今度は家兼・家門は胤久に対し、惣領は親類の無二が別条ないようにすること、胤久に対しては違見を申さないこと、兵部大輔方に対して(胤久が)仰せられたことも同様であること、「幕[注釈 1]」は胤久の意のままであることを誓った[11]。さらにこのころ、家門は胤久に対し、今度の出陣のときの入用にて、幕を仕立てたことを報告している[12]。このことから、享禄年間の戦争において、龍造寺胤久は少弐方らしき東千葉氏に従って、少弐氏の配下としてもまた戦さに参戦していたことだと中村知裕は指摘する。ただし、現在もなお通説として語られている、田手畷の戦いについてや、鍋島清久の活躍のエピソードは、一次史料で確認されていないとしている。
そして天文年間にも龍造寺家兼らが活躍したものの、大内氏家臣の陶道麒入道、同杉興長・興運父子らの攻撃により、少弐資元は自害に追い込まれ、天文7年(1538年)には大内・大友氏間での和睦が成立したことにより、東千葉・西千葉両氏も衰退を迎える。その中で、胤久も、嫡子胤栄への家督継承を済ませている[13]。少弐氏とも従属関係が復活した。
大内・大友両氏の和談後の天文8年(1539年)6月22日、胤久は大和守を朝廷より正式に任命されている[14]。同年8月3日、胤久は死去する。
脚注
注釈
- ↑ 中村知裕は、この「幕」は、陣所で使う幕を意味すると考えている。
出典
- ↑ 佐賀市史編さん委員会 編『佐賀市史 第1巻 (地理的環境・原始・古代・中世編)』1977年、538頁。doi:10.11501/9769997。https://dl.ndl.go.jp/pid/9769997/1/292。
- ↑ 『北肥戦誌(九州治乱記)』の記述。
- ↑ 「龍造寺家文書」103号
- ↑ 「龍造寺家文書」104号
- ↑ 「龍造寺家文書」106号
- ↑ 宮島敬一「戦国期権力の形成と地方寺社」
- ↑ 「龍造寺家文書」105号
- ↑ 中村知裕 2025, p. 43~44.
- ↑ 「実相院文書」8号
- ↑ 「藤龍家譜所収文書」5号
- ↑ 「藤龍家譜所収文書」6号
- ↑ 「藤龍家譜所収文書」7
- ↑ 中村知裕 2025, p. 53~54.
- ↑ 「龍造寺家文書」240号
参考文献
史料集・自治体史
- 松尾禎作 編『佐賀県史料集成 第3巻』佐賀県立図書館、1958年10月。 NCID BN00492352。
調査報告書
書籍
- 中村知裕『龍造寺隆信 ー軍事に通じ甚だ機敏ー』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2025年4月。ISBN 9784623099177。 NCID BD11339696。全国書誌番号:24111139。
- 本多隆成編『戦国・織豊期の権力と社会』吉川弘文館、1999年7月。ISBN 4-642-02784-X。 NCID BA43017734。全国書誌番号:99130374。
- 宮島敬一「戦国期権力の形成と地方寺社 ー肥前竜造寺氏と河上社ー」『戦国・織豊期の権力と社会』所収、1999年7月、99-123頁。