川口朋保
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和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校では3年夏の県大会準決勝で小久保裕紀がいた星林高を破って決勝へ進むが智弁和歌山高に延長13回サヨナラ負け。明治大学に進学して3年春にベンチ入りを果たすも同期に鳥越裕介らがいてレギュラー獲得には至らず、代打要員での出場が主であった[1]。他の同期に柳沢裕一、1学年上に古沢淳、2学年下に野村克則がいた。1994年に三菱自動車工業に入社し、三菱自動車岡崎でプレーした[2]。同僚に谷佳知、岩下修一がいた。
2000年10月、監督の堀井哲也よりマネジャー就任の打診を受けたことから現役を引退。また2002年より2年間コーチを務めた[1]。
2004年、三菱自動車工業によるリコール隠し事件の影響で、野球部がシーズン途中に活動を停止。監督の堀井や全選手の3分の2が移籍や引退を決めた。存続が危ぶまれたものの、翌年に活動を再開し、川口が監督に就任。同年の都市対抗野球大会への出場を果たすなど、2009年に監督を退任するまでの5年間で4回の都市対抗大会出場に導いた[3][4]。
2023年10月、石井章夫の後任として社会人野球日本代表監督に就任した。任期は2026年のアジア競技大会まで[5]。2023年の第30回アジア野球選手権大会では、6戦全勝で2大会ぶりの優勝を果たした[6]。2024年は、第5回WBSC U-23ワールドカップで社会人所属の選手からの選抜となったU-23代表を率いて連覇を達成した[7]。
脚注
- 1 2 “波乱万丈の野球人生 川口朋保監督(侍ジャパン社会人代表)が歩んだ白球の道”. 週刊ベースボールONLINE. (2023年12月6日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=022-20231211-03 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “日本代表新監督に川口朋保氏 初の実戦は12月のアジア選手権 社会人野球NOW vol.8”. 日本野球連盟公式サイト (2023年10月22日). 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “東芝、野球部を存続(下) 苦境背負い再スタート”. カナロコ. (2018年2月3日). https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-25414.html 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “「挑戦できる組織」目指す ~ 社会人野球 日本代表監督 川口 朋保さん”. ニュース和歌山. (2022年12月2日). https://www.nwn.jp/feature/231202ima_kawaguchi_tomoyasu/ 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “野球日本代表「侍ジャパン」社会人代表の新監督について”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2023年10月20日). 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “3投手による完封リレーや向山基生の決勝打で2大会ぶり20回目のアジア選手権制覇”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2023年12月10日). 2023年12月11日閲覧。
- ↑ “侍U23代表、2大会連続3度目の世界一 プエルトリコに“雪辱”、川口監督は笑顔”. Full-Count. (2024年9月15日). https://full-count.jp/2024/09/15/post1618060/ 2024年9月15日閲覧。
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