己卯士禍

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己卯士禍(きぼうしか、キミョサファ)は、李氏朝鮮中期の1519年(中宗14)に、士林派のリーダー的存在であった趙光祖(チョ・グァンジョ)を中心とする急進的な若手官僚の多くが、保守的な勲旧派中宗への上疏によって失脚させられた事件。発生した年の干支をとって「己卯士禍」と呼ばれ、この時犠牲となった儒臣たちは、のちに「己卯名賢」と呼ばれるようになった。

事件の経過

事件の影響

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