市民

政治的共同体と個々の人間との間のつながり From Wikipedia, the free encyclopedia

市民 (しみん)は、日本語においては中世の和製漢語として「市中」にある「民」、商売人を意味した[1]明治時代に、古代ギリシア語: πολίτης:ポリーテース[注 1]: citoyen:シトワイヤン[注 2]: bourgeois[2][1]: citizen:シティズン[注 3]: burgess,burgher[2]: Bürger:ビュルガー[注 4][2]の日本における翻訳語となった[1]

原語の意味に応じて、都市の構成員・住民、市の住民、ヨーロッパ都市国家と中世都市の特権の享受者、近代国家における主権への参与者、近代社会を構成する自立的個人公民ブルジョア[3]、古代ギリシアにおける自由民 (エレウテリオイ eleutherioi)[4][5][6][7]など様々な意味を持つ。

日本語・翻訳語としての「市民」

日本語において「市民」は和製漢語として中世から使用されてきた[1]。「市中」にある「民」、商売人を意味した[1]戦国時代には「町人」が城下町の住民をさす言葉として広く使われるようになった[1]喜田川守貞『守貞謾稿』(天保8年(1837年)-嘉永6年(1853年))には「市民」の言葉が多用されている[1]。同書には「町人と云ふは、今世市民の惣名なれども、また特に自地居住の者を称して町人と云ふ」(巻之四)とある[1]。このように「市民」は明治になって翻訳語として創出された造語ではなかった[1]

明治時代に英語の citizen、フランス語の cityoen、ドイツ語の Bürger の翻訳語として「市民」が採用された[1]。フランス語の bourgeois (ブルジョワジー) にも「市民」の訳語が採用される[1]。こうしたことから、訳語としての混乱がある。

英語訳

訳語の「市民」は、1862年(文久2年)に刊行された日本最初の英和辞書の堀達之助編『英和対訳袖珍辞書』で、Citizenは「素性正しき市井の人、市井の住民」と訳された[2]

また、訳語の「市民」は、福沢諭吉による1867年の『西洋事情外編』や1875年の『文明論之概略』に登場する。それはフランソワ・ギゾー『ヨーロッパ文明史』(1828年)の英訳にでてくるburgessの訳[2]またcitizenの訳であった[1]。『西洋事情外編』巻之二では「市中の人民」「市民」が登場するが、この原語は“people (of a city)”都市の住民のことであった[1]

明治6年(1873年)の『官許英和字彙』ではCitizenの訳語は「府民(都府の住民)、自由の民、市人、商買、住民」である[2]

島田豊(纂訳)・珍田捨巳校閲『雙解英和大辞典』明治25年(1892年)では、1)burgess:城市の住民,市民の議員;城市の長官,亦尹。2)burgher:城市の居民。3)citizen:市公民,府民,市民;公民権を有する人,府民たるの特権を有する人;本国人,帰化人と解釈された[1]

フランス語訳

仏和辞典の『仏和辞林』(野村泰亨他訳、中江篤介(兆民)校閲、初版1887年、第3版1892年)で、bourgeoisは「都人、市人、中等の人、親方 (職工頭)、庶人、庸人、平民」、集合名詞として「府民、市民」と訳され、citoyenは「土民、自治都府の民、国士、国民」等と訳された[2]

中江篤介、野村泰亨 訳『仏和字彙』(1893)でCitoyenは「公民。自治の都府民。国士」ほかと訳された[8]

野村泰亨『新仏和辞典』明治43年(1910年)では、bourgeoisは「市民、中人士,工場主,親方,平民」,citoyenは「市民,都人,都人士,公民(選挙権又は被選挙権ある)」と筆頭訳語に「市民」があてられた[2]

ジャン=ジャック・ルソー社会契約論』の翻訳では、服部徳『民約論』明治10年(1877年)[9]ではcitoyenを「国人」と訳し、中江兆民「民約論訳解』(1882-83)でも同様に訳された[2]。ルソー はcitoyenを「国家に主権者として参加する人」と定義している[10]。その後、大正9(1920年)の 市村光恵, 森口繁治訳ではシトアイアン「公民」と訳され[11]、大正14(1925年)平林初之輔訳で「市民」と訳された[12]

ヨーロッパにおける市民の歴史

語源

citizen と cityoen はラテン語の キウィタス (civitas)(: cīvitās) を共通の語源とするが、ドイツ語の Bürger は語源が異なる[1]。キウィタスはギリシア語ポリスに相当する。

古代

古代の共和制都市国家における自由市民
古代ギリシアのπόλις ポリスや、共和制古代ローマにおける男性自由市民は、政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たした。彼らは都市国家の住民として「市民」と呼ばれた。(ラテン語で civitas

ポリスはしばしば3種の住民に分割され、最高の階級は、参政権を所持している市民である。次に、参政権のない市民、最後に非市民がいた。投票権を持っていたのはたとえば民主制アテナイでも、自由市民のうち成人男性のみであった。また各ポリスはいくつかの部族デモス(区、胞族と最終的には氏族で順に構成された)から構成された。メトイコイ(在留外国人)と奴隷は、このような組織には入っていなかった。市民権は生まれにより通常決定された。各ポリスは崇拝する守護神、特有の祭儀及び習慣を持っていた。

中世

中世ヨーロッパ都市における富裕な商工業者としての都市住民、ブルジョワ
市民と訳されるブルジョワは、城壁(ブール)に囲まれた都市に住む住民に由来している。

近代

フランス革命後、公的な場所に掲げられたパネルの一例(1799年)。 「Ici on s'honore du titre de citoyen.(ここに、我々は(我々自身を)市民という称号によって称揚する。)」(「我々は、市民という偉大なる存在なのだ!」といったニュアンスのフランス語風の表現。民衆を苦しめ続けてきた王や王族を打倒し処刑することに成功し、自分たちの主体性や主権をついに手に入れた人々の喜び・高揚感・誇らしさが表れている。)
フランス革命以後の政治的主体としての市民、citoyenシトワイヤン
シトワイヤンは階級性を排除した、抽象的な市民概念である。

1789年人間と市民の権利の宣言(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)が採択された。

アンシャン・レジーム(旧体制)では、「第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民」とされ、人口の大多数を占める市民や農民が ないがしろにされ、苦しめられていた。 フランス革命の革命歌であり、市民や農民が、王を打倒するために集い、はるばる南フランスから首都パリへと行進する時にも歌われ、現在のフランス(フランス共和国)の国歌でもある『ラ・マルセイエーズ』のリフレインは次のようなものである。

「武器を取れ 市民ら
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで! 」

現代フランス人も、子供のころから繰り返しこの歌を誇らしげに歌って成長する。こうして現代フランス人が「シトワイヤン (市民)」という言葉を聞いた時に、真っ先に思い出す概念はこうした文脈の「市民(=力を合わせ、横暴・残虐な王・王族を倒し、主体性や主権を取り戻し、幸福な共和国を作り、万人の人権を尊重する政治を行い、世界中の人々に手本となるような社会を示す存在)」である。 [注 5]

市民革命

ブルジョワ革命の訳語として市民革命があるが、これは第二次世界大戦以前または最中にマルクス主義用語であるブルジョワジーが忌避されて「市民」と言い換えられたことに由来する[13]。フランス語や英語ではmodern revoluution(近代革命)やブルジョワ革命の用語が用いられ、「市民革命 (Citizen Revolution)」に相当する歴史用語は存在しない[13][14]

市民権

市民権 (citizenship) は、市民革命を背景にした国や多民族国家では国籍と同義で使われることもあるが[要出典]、通常は参政権など法的な権利と義務との関わりを指す語である。公民権と呼ばれることもある。

国籍と区別して用いられる場合は、その所属する国家内における市民たる資格を意味し、国籍が他国との関係で問題になるのに対し、市民権は国内問題として扱われる。国内で市民権を持つ者と持たない者を区別する場合は、参政権が完全である者か否かで区別することが多い。日本は参政権の有無で国民(市民)を分ける法制を採っていないが、憲法第10条国籍法に「日本国民たる要件」があるように、国籍と国民(市民)であることは不可分の関係にある。ただし、法律用語として市民権という言葉は定義されない。日本国憲法において人権の享有主体は日本国民とされているが、マクリーン事件などの判例では権利の性質上日本国民のみを対象としていると解される権利以外は、我が国に在留する外国人にも等しく基本的人権の保障は及ぶと解されている。

比喩表現として、世間からの公認を比喩的に「市民権」と呼び、特殊または希少な物が広く容認されて一般化することを「市民権を得る」というように使用される。

コスモポリタン(世界市民、地球市民)

シノペのディオゲネスは、既存の国家(ポリス)を超越した世界政府を構想した。その世界政府の国民がコスモポリタンである。この思想はストア派を介して近代にも受け継がれた。イマヌエル・カント歴史の終極としての世界政府の理念を論じ、その現実的な不可能性を認めはするものの、現実に有効な法としての世界市民法の可能性を論じた。彼の世界市民法の具体的な内容は、世界市民として現状の各国の市民(国民の意)は相互に訪問権を認められるべきであるといったものである。

名誉市民

シティ・オブ・ロンドンの鍵。チャールズ・リンドバーグに贈呈された物。

共同体が、その共同体に対し功績のある人物や、出身の著名人などを、名誉市民とすることがある。多くの場合は、それ自体に市民権が付随するわけではない名誉称号である。

自治城郭都市の伝統から、城門の鍵になぞらえたイミテーションが友好の印として贈呈されることも、欧米ではよく行われる。

共同体が市でない場合は、名誉町民、名誉村民、名誉区民、名誉都民、名誉道民、名誉府民、名誉県民などと呼ぶこともある。

市民と国民

市民は、政治的共同体国政の(主権的な、主体的な)構成員。個々の人間を指す場合と、人間集団をまとめて指す場合とがある。構成員全員が主権者であることが前提となっている議論では、構成員を主権者として見たものである(現代社会の「市民」について述べるときはこの意味合いのことが多い)[要出典]

市民に似た概念として国民があるが、両者の違いは、「市民」がその理想とするところの社会、共同体の政治的主体としての構成員を表すのに対して、「国民」は、単にその「国家」の国籍を保持する構成員を表すという点にある。市民と国民は、たまたま相互に置き換え可能な場合もあるが、そうでない場合もある。たとえば、絶対王政国家の場合、国民は全て臣民であり、市民ではない(主権や主体性を奪われてしまっているためである)[注 6]。また一方で「欧州連合の市民」のように国家とは直接に結びつかないような形の市民権もあり、この場合も「市民」を「国民」と言い換えるのは適切でない[要出典]

市民と社会・社会運動

市民参加(しみんさんか)とは、市民が市町村の行政施策に関して意見を述べ提案することにより、行政施策の推進にかかわることを指し、一般には地方自治体の政策決定やNPO活動に際し市民参加が行われているが、この場合の市民は目的性をもった市民活動の集団や個人の総体として、用いられている。

地方自治体基本構想環境基本計画都市計画マスタープランなどの重要な施策を決定するときに市民の意見を聴くことや、行政施策において市政提案公募制度、パブリックコメントパブリックインボルブメント等により合意形成をもって公共事業に反映させることを市民参加条例などで制度化している自治体も増加している。

市民運動

市民団体による市民運動もある。安保闘争に関して、『思想の科学』第19号(1960年7月)が「緊急特集・市民としての抵抗」を特集し、久野収が「市民主義の成立」を寄せた[2]日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書、1960年10月)第2章は「市民は起ち上がる」と題された[2]

1965年にベトナムに平和を!市民連合(べ平連)が発足し、その後の「市民」運動の原型となった[2]

ほか、左派市民団体を批判する文脈で指す言葉にプロ市民がある。

言葉のニュアンス

社会の政治的主権者としての「市民」の定義は様々であるが、以下のようなニュアンスを含んでいると解釈されることが多い。

自立性
市民は、匿名的な大衆の一部としてではなく、顕出した個々人として自主独立の気概を持ちつつ、自律的に活動する。
公共性
市民は、自らが市民社会における主権者であることを自覚して、社会的な権利と義務を遂行するとともに、一般意思の実現のために行動する。
能動性
市民は、受動的ではなく能動的に、自ら積極的に社会へと働きかけ、状況参加する存在である。

脚注

関連項目

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