市民民主党 (チェコ)

From Wikipedia, the free encyclopedia

成立年月日 1991年4月[1]
本部所在地 Truhlářská 1106/9, Nové Město (Praha 1), 110 00 Praha[3]
 チェコ政党
市民民主党
Občanská demokratická strana (ODS)
党首 ペトル・フィアラ
成立年月日 1991年4月[1]
前身政党 市民フォーラム[2]
本部所在地 Truhlářská 1106/9, Nové Město (Praha 1), 110 00 Praha[3]
代議院議席数
34 / 200(17%)
(2021年10月10日)
元老院議席数
23 / 81(28%)
(2022年10月2日[4]
政治的思想・立場 中道右派[1][5] - 右派[6]
保守主義[7]
自由保守主義[8]
経済的自由主義[1][7]
欧州懐疑主義[6][7]
国際組織 国際民主同盟[9]
欧州保守改革党[10]
欧州保守改革グループ[8]
公式サイト ODS – Občanská demokratická strana
テンプレートを表示

市民民主党(しみんみんしゅとう、チェコ語: Občanská demokratická strana; ODS)は、チェコ共和国政党である[2]経済自由主義保守主義欧州懐疑主義を掲げる[7]

1991年、市民フォーラム市場経済を指向する右派が同党から分離する形で結党[2][11]。1992年の国民評議会選挙ではキリスト教民主党(KDS)と連合名簿「市民民主党=キリスト教民主党」(Občanská demokratická strana-Křesťansko-demokratická strana:ODS-KDS)を作成して選挙戦を戦い第一党(その後、KDSはODSに吸収)となり、連邦レベルでは民主スロバキア運動連立政権を発足させ、チェコスロバキア連邦共和国の解体を主導した。チェコ共和国ではキリスト教民主同盟=チェコスロバキア人民党(KDU-ČSL)、市民民主同盟(ODA)と連立政権を作って、当時の党首であるクラウスが首相に就任した。

チェコ独立後の1996年に行われた上下両院選挙でも勝利し、与党として市場経済の導入や民主化を推進した。しかし、1997年の経済危機とODS内部での政治資金スキャンダルがきっかけで政権与党内部での対立が強まり、同年末にクラウス政権は辞職に追い込まれた。その後、党内の主導権争いに敗北した反クラウス派は自由連合(Unie svobody:US)を同年、結成した。翌1998年に任期を2年前倒しして行われた総選挙でチェコ社会民主党に第1党を明け渡し、野党となった。2002年の総選挙でも第2党に留まったが、2006年の選挙で第1党に返り咲き、KDU-ČSLおよび緑の党(SZ)と連立政権を組んだ。2010年の総選挙ではチェコ社会民主党に第1党の座を明け渡したが、緑の党などとの連立で政権を維持した。同年10月に行われた上院選挙では改選された27議席中8議席を得たのに留まり、上院多数派を社民党に譲り渡す結果となった。また2012年10月の上院選挙でも改選27議席中4議席の獲得で選挙前より9議席減となり、第2党に留まった。

側近が職権乱用と収賄疑惑で逮捕されたことをうけ、ペトル・ネチャス首相が2013年6月に辞任[12]。その後を継いだイジー・ルスノク首相に対する信任案が否決されたことを受けて2013年10月に行われた下院選挙では、現有議席を大幅に下回る16議席を獲得するに留まり、第5党に後退した[13]

中道右派のキリスト教民主同盟=チェコスロバキア人民党TOP 09との3党で政党連合を組み、SPOLUとして臨んだ2021年10月の下院選挙では合計で71議席を獲得し、与党・ANO 2011の72議席には1議席だけ及ばなかったものの、同じく野党連合の海賊と市長の37議席を合わせて過半数を制したため、政権交代を実現させることとなった[14]

歴代党首

党首名在任期間
1 ヴァーツラフ・クラウスVáclav Klaus1991年  2002年
2 ミレク・トポラーネクMirek Topolánek2002年  2010年
3 ペトル・ネチャスPetr Nečas2010年  2013年
4 マルティン・クバチェコ語版Martin Kuba2013年  2014年
5 ペトル・フィアラPetr Fiala2014年  (現職)

選挙における党勢推移

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI