常樂寺 (岐阜県東白川村)
From Wikipedia, the free encyclopedia
創建時期や由緒は不詳であるが、当初は常樂院と称し、飛騨国益田郡御厩野にあった真言宗の大威徳寺の末寺として開創されたと伝わる。
元和元年(1615年)、初代苗木藩主の遠山友政は、苗木城の傍らに菩提寺として雲林寺を開基した。
遠山友政は、その後、領内に雲林寺の末寺を創建したり、従来から存在した他宗派の寺院を臨済宗妙心寺派に改宗して末寺とした。常樂寺は改宗されて末寺となった寺院の一つである。
その後の経緯は、古記録が処分されたため不明である。檀家は、神土と越原の両集落で500戸程であった。
文化元年(1804年)3月、火災のため本堂の他、大半の建物を焼失した。
当時の模様については「神土村庄屋留書」の中に次のように記されている。
當村 常樂寺焼失の事文化元 甲子年 三月廿六日 夜九ッ半頃に 風呂塲より 出火仕り、方丈 並 庫裡 物置 長屋 隠居屋 共に残らず焼失仕り候、尤も 本屋 脇家 共 三家 残り候、取遺し申す品は 印判・御本尊様 三尊・十六善神図 一幅・大般若経 百巻・半鐘・過去帳・位牌あらまし、右代官 井澤孫兵衛様 正嶽院様 御両所へ届け申し候。
夫より 文化五 戌辰年 四月十一日に 御普請 御届け仕り候て、同月十六日に 入佛供養 相勤め申し候、御代官 小池小左衛門様
明治3年(1870年)9月に苗木藩の廃仏毀釈が断行され、領内の各寺院に対して厳しく廃寺と還俗が申し渡された。
十一世の自董は、やむなく還俗し、安江良左衛門正常に改名した。
位牌は常樂寺の前庭で焼き棄てられ、仏具は他藩領の寺院へ売り払われた。
大般若経と十六善神像は、東白川村の某家にて保管されている[1]。
明治3年(1870年)10月1日、梵鐘は鐘楼と共に100両余で、尾張国丹羽郡前飛保村の深妙寺に売却された。
廃寺の時は、本堂は縦五間・横七間、庫裏は縦五間・横六間ほどで二棟。二間四方の地蔵堂と鐘楼堂を配し、鎮守は小祠で天神を祀り、寺領は、田は四反歩、畑はニ反歩程度であった。安江良左衛門正常に与えたが、後嗣の代に負債のために売却した。
廃寺後の本堂は小学校の校舎に転用され、明治24年(1891年)まで存続した。校舎の新築移転後は、内部の模様替えをして村役場として使用された。
庫裏は近在の者3名が150両で買受け、製糸工場として移転改築された。
歴代住持
寺跡の裏手台地の上之段墓地に並んでいる歴代住持の墓碑と、雲林寺旧蔵の過去帳の調べによれば、雲林寺との本末関係は、明暦年間(1655~1657年)に始まるので、三世までは常樂院時代の住持であったと考えられる。
