平原敏英
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1981年3月、武蔵工業大学(現・東京都市大学)工学部土木工学科卒業[1]。同年4月、横浜市役所入庁[2]。
2001年4月、企画局担当課長(コンベンション都市推進室ワールドカップサッカー推進課担当)に就任。
2009年8月30日に行われた衆院選の結果、民主党政権が誕生。衆院選に合わせて同日に行われた横浜市長選挙でも、民主党推薦の林文子が証券会社役員の中西健治らを破り、初当選した。
平原は土木技術者として都市整備畑を地道に歩んでいたが、課長時代に「影の横浜市長」と呼ばれた菅義偉に見出された[3][4]。自民党が下野した時代(2009年〜2012年)、公明党市議の石井睦美は平原を連れて議員会館で菅と面会。石井が平原に席を外させると、菅は「石井さん、あれ、将来副市長にしたいんだけど」と言った[5][6]。
2012年4月、都市整備局担当理事(副局長)[2][7]に就任。2013年4月、都市整備局長[8]兼横浜高速鉄道取締役に就任[7]。都心再生マスタープランの策定や災害対策などにあたった[9]。
2015年12月24日、菅は石井に「平原を副市長にする」と電話し、翌12月25日には林文子市長を呼び、同じ言葉を告げた[5][6]。
2016年3月31日、鈴木伸哉副市長が任期満了により退任。「菅人事」により抜擢された平原は4月1日、副市長に就任[3][10]。4月5日、平原は副市長室で、後述する中国系企業集団の業者と実業家の河本善鎬の表敬訪問を受ける[5]。以後、副市長として建築局、都市整備局、道路局、港湾局、交通局、旭区、戸塚区、栄区、泉区、瀬谷区を担当するとともに[11]、横浜新都市センター取締役を兼務した[12]。
2020年4月、副市長再任。
2022年2月、1定本会議で副市長再任。
