家康と同年生まれであった親吉のすぐ下の弟で、天文18年(1549年)に家康が今川義元の下に送られて駿府に入ったときに親吉と一緒に同行した[1][2]。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの前哨戦となった家康の尾張国丸根砦攻めに兄親吉とともに従軍した[1]。
永禄6年(1563年)、三河一向一揆が蜂起した際にも家康に従って軍功があった[2]。『寛政重修諸家譜』の編纂時に兄正広の子孫が提出した家譜によると、家康に従った兄弟と袂を分かって初めは宗門に属して家康に敵対したが、許しを得て帰参したという[3]。
以後の動向は系譜に伝わらず、没年も不詳である[1][2]。