平島館
From Wikipedia, the free encyclopedia
時期不明であるが、藤原清兼が居城とした平島塁が前身である[注釈 1]。
天文3年(1534年)、足利義維(義冬)が阿波守護・細川氏之(持隆)によって平島荘に招かれると、西光寺に入り、3000貫の所領を得た[1]。その後、永禄年間に平島塁を修築して、平島館に移った[2][注釈 1]。9代平島公方・足利義根が文化2年(1805年)に京都へ移るまでの270年間、歴代平島公方が居住した。
江戸時代に入り、蜂須賀家政が阿波国に入国すると、蜂須賀氏は平島公方を軽視し、3000貫の所領から100石にまで削減され(しかも名目上は茶料で「領地」としては認められていない)、4代義次を平島又八郎と名乗らせるなど、旧将軍家の権威を認めなかった。足利義根の阿波立ち退き後、その遺構のいくつかは、阿波各地に移築されるなどした。
館跡は、館付近の農民が農地などにしたが、地名だけはそのままにするなど大事に保ってきたので、その地の地名だけでもかつてをしのぶことが出来る。
現在は、主館のあたりが阿南市立阿波公方・民俗資料館となっている。またそれは、ふるさと創生事業で創設されたものである。
