平成10年8月新潟豪雨
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
大雨で浸水した新潟市内 | |
| 発災日時 |
1998年8月4日 |
|---|---|
| 被災地域 |
|
| 災害の気象要因 | 集中豪雨 |
| 気象記録 | |
| 最多雨量 | 宝珠山で270 mm |
| 最多時間雨量 | 新潟で97 mm |
| 人的被害 | |
| 死者 |
2人 |
| 負傷者 |
3人 |
| 建物等被害 | |
| 全壊 |
3棟 |
| 半壊 |
16棟 |
| 一部損壊 |
18棟 |
| 床上浸水 |
2,560棟 |
| 床下浸水 |
15,134棟 |
| 出典: [1] | |
平成10年8月新潟豪雨(へいせい10ねん8がつにいがたごうう)は、1998年(平成10年)8月4日を中心に、主に新潟県で起こった豪雨災害(水害)である[2][3]。国や県の資料、マスメディアなどでは8.4水害(はちてんよんすいがい)とも呼ばれている[4][5][6][7]。
※いわゆる平成の大合併で現在は消滅している自治体もあるが、ここでは全て豪雨発生当時の自治体名で示す。
4日未明から新潟県下越地方や佐渡地方を中心に非常に激しい雨が降り、安田町の宝珠山では4日の24時間降水量270ミリを観測した。また新潟市では24時間降水量265ミリを観測、1886年(明治19年)の観測開始以来第1位の記録となった[2][3]。このほか新潟市では排水機場のポンプが故障したこともあり、市内各所で浸水被害が相次いだ[2]。この豪雨による浸水被害の約8割は新潟市内で発生している[2]。市内主要道路も広範囲に渡り冠水し、都市機能は完全に麻痺した。また越後線の小針駅 - 寺尾駅間で線路路盤の一部が流出し、災害の後もしばらくの間徐行運転を余儀なくされた[8]。
死者は岐阜県での1人を含め2人[9][10]。住家被害は全壊3棟、半壊16棟、一部損壊18棟のほか、床上浸水2,560棟、床下浸水15,134棟。都市部を直撃したこともあり、浸水被害が非常に多かった[2]。また山間部では土石流や地すべりが発生、甚大な被害を受けた[11][9]。
気象概況
見舞金など
豪雨後の動き
水害対策
浸水被害が広範囲に及んだことを受けて新潟県は、親松排水機場に隣接し、排水能力を補完する施設として鳥屋野排水機場の建設を1999年(平成11年)より開始[16]。2003年(平成15年)5月に竣工した[17][18]。また、1969年(昭和44年)に建設を開始していた福島潟放水路も水害対策として早期完成を求める声が挙がったたため[19][20]、鳥屋野排水機場とともに建設が進められ、予定していた2005年(平成17年)度よりも早い2003年(平成15年)3月16日に完成した[21][22]。
2000年(平成12年)4月、新潟市は、雨水浸透ますと雨水貯留タンクの設置費用を助成する制度を開始した[23]。制度の開始にあたって、浸水被害が広範囲に及んだ要因として、アスファルトで舗装された道路が増加したことで地下に雨水が流れにくくなっていることが挙げられたため、新潟市は「少しでも下水管に流れる雨水を減らそう」と、雨水浸透ますと雨水貯留タンクの設置費用の助成を決定した[23]。
雨水浸透ますを設置する場合、1個につき2万円、雨水貯留タンクについては、単独で市販の専用タンクを設置する場合、1基まで1万円、雨水浸透ますと同時に市販の専用タンクを設置する場合、1基まで2万円が助成される[23][24]。