平野長蔵
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明治3年(1870年)8月10日、福島県南会津郡檜枝岐村に[2]、平野伝八の三男として生まれる[3]。父の死により、小学校に通えたのは3年までだった[2][3]。
1889年(明治22年)8月、19歳の時燧ヶ岳に登頂、登山道を開く[2]。翌1890年(明治23年)に燧嶽教会を開設して祭祀を始めた[2]。同年沼尻(ぬしり)に近い押出(おんだ)し沢に長蔵小屋の前身となる行者小屋を建設[4][注釈 1]。1894年(明治27年)「燧嶽神社附属愛国講社」を結成[2]。
1902年(明治35年)舘岩村(現・南会津町)のトメと結婚[6][7]。今市(栃木県)で行商をして生計を立てる[8][9]。1910年(明治43年)尾瀬沼尻に小屋を建てる[4]。
尾瀬での養魚事業を企図し、和井内貞行に照会してヒメマス養殖を試みる[10][11]。1914年(大正3年)9月、「尾瀬沼区画漁業権」を獲得するも、養魚事業は失敗に終わった[10]。
1915年(大正4年)、尾瀬沼東岸の現在地に長蔵小屋を建設し引っ越した[10][12]。
1922年(大正11年)、関東水電が尾瀬の水利権を獲得、尾瀬ヶ原をダムにし、尾瀬沼・尾瀬ヶ原間と至仏山にトンネルを掘り発電所を作る計画を発表[13]。長蔵は単身上京して、同年7月26日付で当時の水野錬太郎内務大臣に宛て、請願を提出した[14]。
