幽王 (楚)
From Wikipedia, the free encyclopedia
『史記』春申君列伝および『列女伝』によると、春申君の舎人の李園は妹を春申君に献上し、妹が春申君の子を身籠った後、李園と妹は春申君を説得し、妹を考烈王に献上させた。妹は考烈王の寵愛を受けて王后に封じられ、産まれた悍(幽王)は太子に立てられた[2]。
考烈王25年(紀元前238年)、考烈王が逝去すると、李園は春申君が秘密を漏らすのを危惧して一族ごと皆殺しにし、悍を楚王に即位させて楚の政治を牛耳った[2]。
幽王3年(紀元前235年)、楚は秦と魏の連合軍に攻められた[1]。
幽王10年(紀元前228年)3月、幽王は在位10年で逝去した。その後、同母弟の猶(哀王)が楚王に即位したが、2か月余りで負芻の一派に殺害され、母を含む李園の一族も滅ぼされた[1]。
