広平親王
From Wikipedia, the free encyclopedia
天暦4年(950年)村上天皇の第一皇子として生まれるが、同年に中宮・安子(右大臣・藤原師輔の娘)所生の第二皇子・憲平親王も生まれた。二人は誕生からすぐに東宮の地位を争うが、外戚の力関係によりまもなく憲平親王が立太子された。広平親王の外祖父である大納言・藤原元方は無念の思いのまま、天暦7年(953年)に病死した。なお、天徳元年(957年)広平親王の二条邸が火災に遭っている[1]
応和3年(963年)に元服して三品に叙任される。康保4年(967年)に憲平親王が践祚(冷泉天皇)すると、のち兵部卿・大宰帥を歴任した。天禄2年(971年)9月10日薨去。享年22。藤原元方と広平親王の恨みが、冷泉天皇とその子である花山天皇の奇行や三条天皇の病となって現れた、と噂された(『栄花物語』)。