広橋規子
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生涯


1907年(明治40年)4月27日、梨本宮守正王と同妃伊都子の第2王女子(第2子)として誕生。乳児期から落ち着いた様子であったという[1]。
1925年(大正14年)7月、山階宮武彦王と同年秋にも結婚すると発表され、規子女王は学習院を退学した[2]。内約中は、武彦王が創設した御国航空練習所を訪問し、強い関心を示した[3]。しかし、武彦王は前妃を関東大震災で失って以降、神経衰弱を発病しており、まだ10代と若い規子女王への配慮[4]から、翌1926年(大正15年)年7月に婚約を辞退すると発表があり[5]、8月に正式に破談となった。
1926年(大正15年)12月2日、広橋真光伯爵に降嫁した[6]。その後は、慈善活動を行った[7]。戦中は大日本婦人会の渋谷支部長[8]として活動していた。
1985年(昭和60年)8月25日、脳腫瘍のため、東京女子医科大学病院にて逝去した[9]。