広瀬女王 From Wikipedia, the free encyclopedia 広瀬女王(ひろせじょおう/ひろせ の おおきみ、生年不詳 - 天平神護元年10月22日(765年11月9日))は、奈良時代の皇族。天武天皇の皇子、那我親王(長親王)の娘[1]。名は広背[2]・広湍[3]とも記される。位階は従三位。 養老7年(723年)正月、粟田女王・海上女王・智努女王らとともに従四位下に初叙される。その後の昇叙は粟田女王とほぼ同時に行われているが、聖武朝以降の昇進は見られず、しばらくたった天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱の直後の論功で円方女王・神社女王とともに従三位に昇叙している。翌天平神護元年(765年)に薨去。 なお、『本朝皇胤紹運録』は、長親王の子に「上道広川女王」をのせているのは、この女王と混同した可能性が考えられる[4]。 官歴 『続日本紀』による。 養老7年(723年)正月10日:従四位下 天平11年(739年)正月13日:従四位上 天平20年(748年)3月22日:正四位上 天平宝字8年(764年)10月7日:従三位 天平神護元年(765年)10月22日:薨去 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年10月22日条 ↑ 『続日本紀』巻第九、元正天皇 養老7年正月10日条 ↑ 『続日本紀』巻第十三、聖武天皇 天平11年正月13日条 ↑ 『日本古代人名辞典』 参考文献 『続日本紀2 (新日本古典文学大系13)』 岩波書店、1990年 『続日本紀3 (新日本古典文学大系14)』 岩波書店、1992年 『続日本紀4 (新日本古典文学大系15)』 岩波書店、1995年 宇治谷孟訳『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 竹内理三・山田英雄・平野邦雄編『日本古代人名辞典』5 - 1466頁、吉川弘文館、1966年 Related Articles