張延播
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はじめ後梁の鄆州の牙将となった。後唐の同光元年(923年)、李嗣源が鄆州を下すと、延播はその側近に置かれた。天成年間、検校司空・両河発運営田使に任じられ、柳州刺史を遥領した。長興元年(930年)、蔡州刺史に任じられ、検校司徒を加えられた。入朝して左領軍衛大将軍となり、客省使をつとめた。後蜀に対する征戦に従軍し、馬軍都監となった。長興3年(932年)、鳳州防禦使・西面水陸転運使に転じた。後晋の天福元年(936年)、高祖石敬瑭が即位すると、延播は東都副留守をつとめた。天福2年(937年)、石敬瑭が開封府に移ると、延播は東都巡検使を兼ねた。張従賓が反乱を起こすと、延播は知河南府軍府事とされた。張従賓が敗れると、延播は処刑された[1]。