張錫潤 From Wikipedia, the free encyclopedia 張 錫潤(チャン・ソギュン、朝鮮語: 장석윤、1904年4月13日または1906年 - 2004年1月16日)は、大韓民国の独立運動家、実業家、政治家。内務部次官・長官、第3・4代韓国国会議員を歴任した[1][2]。 本貫は仁同張氏、号は春峰(チュンボン、춘봉)[1]。キリスト教徒[2]。軍医の尹致旺は岳父[3]、元弘益大学校総長の沈相弼、延世大学校教授の朴泰圭と啓明大学校教授の李鍾旿(朝鮮語版)は娘婿[4][5]。 江原道(現・江原特別自治道)横城郡甲川面楡坪里出身。1923年京城第一高等普通学校(現・京畿高等学校)卒。マウント・ハーモン高等学校(英語版)、キンブルユニオンアカデミー卒。ハーバード大学修了、1936年ヴァンダービルト大学地質学科卒、同大学院修了。1923年にヴァンダービルト大学学士院で数学・地質学の研究を行い、1924年に李承晩に出会った。ロサンゼルスの韓人コミュニティで活動した後、1942年にアメリカ陸軍に入隊した。同年3月李の推薦で情報調整局(COI)に入り、1期生を卒業した後、同年7月に戦略情報局(OSS)所属でアメリカ極東軍の韓国代表としてニューデリーを経て中国とビルマに派遣され、1944年まで李承晩や米軍と連絡する重慶の大韓民国臨時政府連絡官を務めた。その後は大韓観察部首長、大韓民国司正局長、内務部(現・行政安全部)治安局長、国都新聞理事長・社長、内務部第7代次官・第7代長官(1952年1月17日~5月23日[6])、国会議員2期、自由党江原道党委員長、故郷での農園・林業経営者、韓国仏教反共連合会総裁を務めた[3][1][2][4]。 2004年1月16日、老衰により死去。享年100[4]。 エピソード 1945年11月、米軍軍属として韓国に帰国し、情報参謀部(G2)に所属した。その後尹致旺の娘と結婚した[3]。 1950年6月17日、白性郁の勧誘で内務部治安局長に就任したが、その1週間後に朝鮮戦争が勃発したため、国民保導連盟員に対する即時拘束と刑務所の警備強化の内容となった非常通牒を警察無線で全国各道の警察局に送り、結局保導連盟事件の責任者となった。その後、就任から30日だけで治安局長を辞任した[3]。 内務部長官在任中は抜粋改憲案の通過に積極的に加担した[3]。 5・16軍事クーデター以後は政治浄化法の適用対象となり、1963年2月に解禁された。その後は共和党に参加したが、公認をもらうことはなかったため、故郷に帰郷し林業を営んだ[3]。 脚注 1 2 3 “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2026年4月1日閲覧。 1 2 3 “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2026年4月1日閲覧。 1 2 3 4 5 6 “장석윤 張錫潤”. 韓国民族文化大百科事典. 韓国学中央研究院. 2026年4月1日閲覧。 1 2 3 “[부고]前내무부장관 장석윤씨” (朝鮮語). 동아일보 (2004年1月18日). 2026年4月1日閲覧。 ↑ “[온양신문]아산시 개화기 인물연구 및 유물조사(4)”. (주)온양신문사 (2008年6月9日). 2026年4月1日閲覧。 ↑ “장·차관 소개> 역대장관”. www.mois.go.kr. 2026年4月1日閲覧。 Related Articles