彭年
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1939年より前の経歴については、資料がほとんど見当たらない。重慶から脱出した汪兆銘(汪精衛)に加担し、1939年 (民国28年)、汪派中国国民党で中央委員に選出されている。同年、上海で設立された特務機関(ジェスフィールド76号)に加わり、総務処処長に任命された[1]。
南京国民政府(汪兆銘政権)が設立された1940年(民国29年)3月30日、彭年は行政院社会部(部長:丁黙邨)常務次長として抜擢された[2]。1941年(民国30年)5月、清郷委員会駐蘇州弁事処第四処処長となり、8月には社会行動指導委員会委員も兼任している。同月、丁黙邨が交通部部長に転じたため、彭年も追随して交通部常務次長に移った。9月には交通部鉄道署署長を兼任している[1]。
1942年(民国31年)4月、彭年は社会運動指導委員会常務委員となり、8月には交通部政務次長に昇進した。1943年(民国32年)1月、国民政府政務参賛に移る。汪兆銘政権最末期の1945年5月、丁黙邨の後任として社会福利部部長に就任した[1]。以上の動向を見る限り、彭は丁を支える腹心の部下であった可能性が高い。
汪兆銘政権が崩壊すると、彭年は蔣介石国民政府に漢奸として逮捕された。1946年(民国35年)10月12日、上海高等法院にて死刑判決を下されている[3][注 1]。ただし、その後の審理状況や動向について情報が見当たらず、実際に死刑を執行されたかどうかは不明である。