後鳥羽院宮内卿
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逸話
- 若手女流歌人として、俊成卿女と宮内卿が並び称される存在だった。宮内卿は、歌合のような晴の席の前には、草子や巻物をとり広げ、灯りをともして夜も昼もなく予習に励んだ。和歌に熱中しすぎて体をこわし、父から「なにごとも命あってのこと」と諌められたが、それでも言うことを聞かず、ついに若くして命を落とした[1]。二十歳前だったという[2]。「宮内卿は血を吐きしといへり[3]」。
- 母である安芸は琴の名手、安芸の父は絵師巨勢宗成で、これらが宮内卿の絵画的で印象鮮明な作風に影響しているという見方がある[4]。
- 千五百番歌合に際し、並み居る大家ベテランの中に混じって、宮内卿はまだ実績はないが期待していると、後鳥羽院から特に名前を挙げて激励され、
面うち赤めて 涙ぐみて候ひけるけしき 限りなき好きの程も あはれにぞ見えける
— 『増鏡』 第一 おどろの下
さてその御百首の歌 いづれもとりどりなる中に
薄く濃き野辺のみどりの若草に 跡まで見ゆる雪の村消え
草の緑の濃き薄き色にて 去年のふる雪の遅く疾く消ける程を おしはかりたる心ばへなど
まだしからん人は いと思ひ寄り難くや
- と期待に違わず評価を得た。宮内卿はこの歌で「若草の宮内卿」の異名をとった。『増鏡』の作者は、もし彼女がもっと長く生きたなら、どれだけ目に見えぬ鬼神をも動かしたことだろうと、その才能を惜しんでいる[5]。
関路花を
— 『新古今和歌集』 巻第二 春歌下
あふ坂や木すゑの花を吹からに 嵐そかすむ関のすきむら
- この「あらしぞ霞む」は「主ある詞[* 2]」とされ、宮内卿の名声を高める一助となった。
百四十八番
— 『時代不同歌合』
左 泉式部
くらきよりくらき道にそ入ぬへき はるかに照せ山のはの月
右 宮内卿
色かへぬ竹のはしろく月さえて つもらぬ雪をはらふ秋風
百四十九番
左
もろともに苔の下にはくちすして 埋もれぬるをみるそ悲しき
右
霜をまつまかきの菊の宵のまに 置まよふ色や山のはの月
百五十番
左
物思へはさはの蛍も我身より あくかれ出る玉かとそみる
右
からにしき秋のかたみや瀧田山[* 4] ちりあへぬ枝に嵐ふく也
作品
| 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 千載和歌集 | 新古今和歌集 | 宮内卿 | 15 | 新勅撰和歌集 | 宮内卿 | 2 | ||
| 続後撰和歌集 | 続古今和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 3 | 続拾遺和歌集 | ||||
| 新後撰和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 1 | 玉葉和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 宮内卿[* 5] | 7 2 |
続千載和歌集 | ||
| 続後拾遺和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 2 | 風雅和歌集 | 同院宮内卿[* 5] | 1 | 新千載和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 1 |
| 新拾遺和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 3 | 新後拾遺和歌集 | 後鳥羽院宮内卿 | 3 | 新続古今和歌集 | 宮内卿[* 5] | 3 |
| 名称 | 時期 | 作者名表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 新宮三首歌合 | 1200年(正治2年)11月7日 | 『明月記』記事のみ | |
| 正治後度百首 | 1200年(正治2年) | ||
| 老若五十首歌合 | 1201年(建仁元年)2月 | 宮内卿局 宮内卿 | 勝12負18持19 |
| 通親亭影供歌合 | 1201年(建仁元年)3月 | 女房宮内卿 | 勝2負2持2 |
| 新宮撰歌合 | 1201年(建仁元年)3月 | 宮内卿 後鳥羽院官女師光女 | 負2持1 |
| 鳥羽殿影供歌合 | 1201年(建仁元年)4月 | 女房宮内卿 | 負1持2 |
| 和歌所影供歌合 | 1201年(建仁元年)8月3日 | 女房宮内卿 | 西園寺公経と番い勝2負1持3 |
| 八月十五夜撰歌合 | 1201年(建仁元年) | 宮内卿 | 勝4持2 |
| 和歌所影供歌合 | 1201年(建仁元年)9月13日夜 | 宮内卿 | 勝2無判1 |
| 仙洞句題五十首 | 1201年(建仁元年年)12月 | 宮内卿 | |
| 石清水社歌合 | 1201年(建仁元年)12月28日 | 宮内卿 | 慈円と番い負1 |
| 仙洞影供歌合 | 1202年(建仁2年)5月26日 | 女房宮内卿 | 藤原俊成と番い負3 |
| 水無瀬恋十五首歌合 | 1202年(建仁2年)9月13日 | 女房宮内卿 | 勝3負10持2 |
| 若宮撰歌合 | 1202年(建仁2年)9月26日 | 女房宮内卿 | 藤原定家と番い持2 |
| 水無瀬桜宮十五番歌合 | 1202年(建仁2年)9月29日 | 宮内卿 | 藤原定家と番い持2 |
| 千五百番歌合 | 1202年(建仁2年) | 宮内卿 | |
| 影供歌合 | 1203年(建仁3年)6月16日 | 女房宮内卿 | 勝2負1 |
| 八幡若宮撰歌合 | 1203年(建仁3年)7月15日 | 女房宮内卿 | 勝1負2持1 |
| 春日社歌合 | 1204年(元久元年)11月 | 女房宮内卿 | 俊成卿女と番い持3 |
- 私撰集等
- 三百六十番歌合(1200年(正治2年))
- 「宮内卿 院女房」名で9首
- 家集は伝存しない。
