御上神社

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所在地 滋賀県野洲市三上838
位置 北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)座標: 北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)
主祭神 天之御影命
御上神社

本殿(国宝
所在地 滋賀県野洲市三上838
位置 北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)座標: 北緯35度3分0秒 東経136度1分38.5秒 / 北緯35.05000度 東経136.027361度 / 35.05000; 136.027361 (御上神社)
主祭神 天之御影命
神体 三上山神体山
社格 式内社名神大
官幣中社
別表神社
創建 伝・孝霊天皇6年6月18日
本殿の様式 御上造
札所等 神仏霊場巡拝の道第144番(滋賀第12番)
例祭 5月14日
主な神事 秋季古例祭(ずいき祭、10月14日
地図
御上神社の位置(滋賀県内)
御上神社
御上神社
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神体とする三上山(近江富士)
野洲川対岸より。
鳥居

御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市三上にある神社式内社名神大社)で、旧社格官幣中社。現在は神社本庁別表神社琵琶湖南岸、「近江富士」の別名もある三上山(標高432メートル)の山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る。三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説でも知られる[1]

歴史

社伝によると、孝霊天皇6年6月18日に天之御影命三上山の山頂に降臨し、それを神孫の御上祝(神主)が三上山を神体神奈備)として祀ったのに始まると伝える[1]明治から昭和にかけての発掘調査では三上山ふもとの大岩山から24個の銅鐸が発見されており、三上山周辺では古来から祭祀が行われていたと考えられている。

養老2年(718年)3月15日に、藤原不比等が勅命によって遥拝所のあった榧木原と称された三上山麓の現在地に飛騨国の工匠を造営使としての木で社殿を造営し、遷座させたという[1][2]

社記によると、当社の神領は古代山千町、河千町、田千町と記され、甲賀郡横田より下は野洲川吉川に至る五十余郷を有していたという[2]

貞観17年(875年)には従三位に叙せられている[2]延喜式神名帳では「近江国野洲郡 御上神社 名神大 月次新嘗」と記載され、名神大社に列し月次・新嘗の官幣社として記されているのがわかる[1]。古代から中世にかけて三上山山麓に東光寺があったとされる。数多くの伽藍・堂舎があったとも伝えられ、「三上古跡図」にその様子が描かれている。また、天延2年(974年)には円融天皇によって当社は勅願所に定められている[1]

源頼朝を始めとする各武将の崇敬は深く、江戸幕府に至るまで代々神領が寄進され、社殿の修営が行われるなど武家の尊崇が深かった[1]

1876年明治9年)に近代社格制度において郷社に列せられた。

1899年(明治32年)に本殿・拝殿・楼門が特別保護建造物に指定された機会に国庫補助を受けて解体修理が行われた[1]

1913年大正2年)に県社、次いで1924年(大正13年)に官幣中社に昇格した[1]太平洋戦争後は神社本庁別表神社に列している。

かつては三上山を神体山として祀っていたようであるが、現在は三上山は当社の境内の東に国道8号を挟んで立地し、本殿は境内の北に南向きで建てられているため方角は一致していない。

神階

  • 六国史時代における神階奉叙の記録
    • 天安3年(859年)1月27日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。
    • 貞観7年(865年)8月28日、従五位上から正四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。
    • 貞観17年(875年)3月29日、正四位下から従三位 (『日本三代実録』) - 表記は「三上神」。
  • 六国史以後

境内

  • 本殿(国宝) - 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺鎌倉時代後期の造営だと思われるが、縁廻り及び向拝は建武4年(1337年)頃の改造とみられている[3]。漆喰壁及び連子窓などがあり、神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形になっている。その独特な構造からこの形式は「御上造」と呼ばれる[4]。裏側には扉・庇があるが、これはかつて本殿が三上山の遥拝所であった名残で、神体山信仰の遺構とする説があるほか[2]、神宝庫・祭器庫としての建築とする説がある[5]滋賀県下にある神社建築の国宝第一号である[4]
  • 拝殿(重要文化財) - 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺で本殿と似た構造である。かつての本殿を移築・改造したものと伝えられており、鎌倉時代後期の造営だと思われる。
  • 神輿舎
  • 宝庫
  • 楼門(重要文化財) - 三間一戸、入母屋造、檜皮葺。鎌倉時代後期の造営だと思われる。
  • 社務所
  • 悠紀斎田- 境内前にある斎田。昭和天皇即位時、大嘗祭に供える献上米の栽培地として指定された。以来毎年5月には御田植祭として、昔ながらの服装で田植えが行われる。
  • 御旅所 - 三上山の麓にある。
  • 磐座 - 三上山の山頂にある[2]

摂末社

摂社

末社

  • 大神宮社 - 祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津比賣命(天照大神の荒魂)、天照大神(和魂)。
  • 御鍵取神社 - 祭神:天津彦根命猿田彦命
  • 愛宕神社 - 祭神:火産霊神
  • 竃殿神社 - 祭神:火産霊神、奥津比古神、奥津比売神。
  • 奥宮 - 祭神:天之御影命。三上山山頂に鎮座し、奥宮前には奥津磐座がある。
  • 八大龍王社 - 祭神:八大龍王神。

祭事

年間祭事

年間祭事一覧
  • 毎月
    • 月首祭 (1日)
    • 月次祭 (14日)
  • 1月
  • 2月
  • 4月
  • 5月
    • 例祭 (5月14日
    • 悠紀斎田御田植祭 (5月吉日)
  • 6月
    • 山上祭・影向祭 (旧暦6月18日) - 竜王祭
    • 夏越大祓 (6月30日
  • 10月
    • 秋季古例祭 (10月14日) - ずいき祭り
  • 11月
    • 忌火祭・神衣祭 (11月第3日曜日)
    • 新嘗祭 (11月23日
  • 12月

ずいき祭り

10月14日に行われる秋季古例祭は、「ずいき祭り」と通称される。古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれていたという。秋の収穫感謝と子孫繁栄を祈念する祭りで、鎌倉時代以前に始まったとされる。ずいきで作った神輿(ずいき神輿)が5基奉納されるほか、芝原式として子供相撲が奉納される。中世の宮座の祭祀組織や神事を伝えていることから、国の重要無形民俗文化財に指定されている[1]

文化財

国宝

重要文化財

  • 拝殿(建造物) - 鎌倉時代後期の造営。1899年(明治32年)4月5日指定[7]
  • 楼門(建造物) - 室町時代の造営。1899年(明治32年)4月5日指定[8]
  • 摂社若宮神社本殿(建造物) - 鎌倉時代後期の造営。1931年(昭和6年)1月19日指定[9]
  • 木造狛犬(彫刻) - 平安時代の作。京都国立博物館寄託。1909年(明治42年)4月5日指定[10]

重要無形民俗文化財

  • 三上のずいき祭 - 2005年平成17年)2月21日指定[11]。保護団体はずいき祭保存会。

滋賀県指定有形文化財

  • 摂社三宮神社本殿(建造物) - 室町時代の造営。1960年(昭和35年)1月20日指定[12]
  • 絹本著色両界曼荼羅図 2幅(絵画) - 南北朝時代の作。野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)寄託。1992年(平成4年)3月31日指定。
  • 木造相撲人形 1組(力士2、行司1)(工芸品) - 鎌倉時代の作。滋賀県立琵琶湖文化館寄託。1957年(昭和32年)指定。
  • 黒漆金銅装神輿 3基(工芸品) - 二基の台框に宝徳二年の墨書銘がある。室町時代の作。2026年(令和8年)3月17日指定[13]
  • 御上神社文書 265点(書跡) - 室町時代から明治期にかけての文書。野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)寄託。2001年(平成13年)3月19日指定。

前後の札所

神仏霊場巡拝の道
143 長命寺 - 144 御上神社 - 145 建部大社

所在地

  • 滋賀県野洲市三上838

アクセス

脚注

参考文献

関連図書

関連項目

外部リンク

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