徳田敦子
From Wikipedia, the free encyclopedia
大阪府出身。四條畷学園中学校・高等学校卒業、四條畷学園短期大学卒業。卒業後はサントリーに入社し、全日本総合バドミントン選手権大会で1978年に女子シングルス優勝、女子ダブルスで1977年と1978年に高田幹子と、米倉よし子と1979年から1984年、1986年、1987年に合計10度優勝。1981年には東宮御所に招待され、当時の皇太子明仁夫妻と歓談している[2]。
1992年8月25日、桜田淳子、山﨑浩子らとともに韓国のソウルオリンピックスタジアムで行われた統一教会の合同結婚式に参加した[3][4][5][6]。
1994年5月、統一教会入信と、合同結婚式前後の胸のうちを明かした著書『やっぱりこの人が一番』を統一教会系出版社の光言社から発刊した[7][8][2][9]。結婚後は夫の津谷姓に改姓したことを著書などで公表している[1][2]。
脚注
- 1 2 徳田 敦子 Webcat Plus
- 1 2 3 4 徳田敦子著『やっぱりこの人が一番』(光言社、1994年5月)ISBN 4876560374
- ↑ 통일교 합동결혼식 - KBS NEWS(韓国放送公社)(韓国語)(KBS9時ニュース現場、1992年8月25日)
- ↑ 세계 각국 통일교 신도 3만여쌍 합동 결혼식(韓国語)(MBCニュースデスク、1992年8月25日)
- ↑ 二田一比古 (2020年8月22日). “当時34歳の桜田淳子を追って…“統一教会”の「合同結婚式」を直撃(1992年)”. 日刊ゲンダイ. 2024年12月2日閲覧。
- ↑ いのうえせつこ (2022年8月31日). “こうして悲劇は繰り返される…30年前に桜田淳子さんと合同結婚式に参加した信者たちのいま(6/6ページ)”. PRESIDENT Online. 2024年12月2日閲覧。
- ↑ “会社案内”. 光言社. 2022年10月28日閲覧。
- ↑ やっぱりこの人が一番 | 徳田 敦子 Amazon.co.jp
- ↑ やっぱりこの人が一番 Webcat Plus
| 1940年代 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 1940年代 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
この項目は、バドミントンに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。 |
| 全般 | |
|---|---|
| 国立図書館 | |