怒和島 (敷設艇)

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艦歴
計画④計画
起工1941年11月26日
進水1942年7月31日
就役1942年11月15日竣工
その後1945年4月30日大破
除籍1945年11月20日
性能諸元
排水量基準:720トン、公試:750トン
全長74.70m
全幅7.85m
吃水2.60m
機関マン式三号ディーゼル2基2軸
3,600馬力
速力20.0kt
航続距離14ktで2,000
燃料重油:35トン
乗員67名
兵装8cm高角砲1基
13mm連装機銃1基2挺
爆雷36個、捕獲網8組
(もしくは九三式機雷120個)

怒和島(ぬわじま)は、日本海軍敷設艇平島型敷設艇の8番艇。

1942年(昭和17年)11月15日、日立桜島造船所にて竣工。

呉鎮守府籍、佐伯防備戦隊付属に編入、佐伯を基地にパラオ沖縄方面の船団護衛などに従事。1944年(昭和19年)6月1日、第4海上護衛隊に編入。1945年(昭和20年)2月1日、第18戦隊に編入、任務は引き続き船団護衛や機雷敷設等。

また、「怒和島」はドイツの潜水艦「U511」、「UIT24」および陸軍の潜水艦の護衛やドイツ潜水艦に撃沈されたソ連潜水艦の乗員だという漂流者を救助したこともあった[1]。1942年12月20日深夜、「怒和島」は都井岬沖でアメリカ潜水艦「ドラム」を発見し、攻撃した[2][3]。1944年7月3日、基隆発のタモ20B船団護衛中潜水艦の雷撃を受けるが、魚雷は「怒和島」の下を通過し、その直後隣を航行していた「賀茂丸」が被雷した[4]。1945年3月1日、石垣島で敵機と交戦し撃墜2、不確実1記録した[5]

4月30日、佐伯で爆撃を受けて後部に被弾、大入島へ向かいそこで擱座した[6]。戦死者は14名であった[7]。この爆撃はグアムより佐伯飛行場を目標に来襲した第314爆撃飛行団のB-29爆撃機11機によるものであった[8]

11月20日除籍[9]。戦後、日鮮サルベージにより解体される。

その他

脚注

参考文献

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