恩納松下(うんなまちした)に 禁止の(ちぢぬ)碑たちゅす(し) 恋忍ぶ(くいしむぶ)までの(ぬ) 禁止(ちぢ)や無いさめ(ねさめ)
(恩納村の松の木の下禁止の立て札が立っているというが、まさか男女の恋を忍ぶことまで禁ずるようなおふれではないでしょう)
[5]
恩納節の導入は恩納なべのこの歌で始まる。
中国からの冊封使である徐葆光が1719年、北部の観光の途中で恩納村に一泊するとになった。蔡温政策によって風紀の乱れを見せたくない首里王府の役人が様々な禁止の立て札を立てた。王府から地方への権力強化に対し、まさか恋まで禁止しないでしょうと、役人への皮肉を歌ったものだと解釈されている[4][6][7]。