愛子の田植踊
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起源は元禄年中(1688年 - 1704年)に加藤某が京都から伝えたと言われているが、愛子地区に古くからある御殿山諏訪神社 (仙台市青葉区)の別当が、代々修験であったところから、それとの関連が考えられている。
昔からこの踊りを管理する家を庭元(ニワモト)と称し、ここに集合して、毎年旧正月から3月15日の諏訪神社祭礼までの期間に周辺の集落を踊り歩き、その年の豊作を祈り、集落の親睦を目的とした。
一時期途絶えたのち、1930年(昭和5年)の仙山線開通を機に復活するも、戦争に伴い再び衰えたが、1950年(昭和25年)当時の宮城郡広瀬村の議決により復活した。
早乙女は揃いの花笠、黒紋付の振袖、手甲、脚絆、草鞋の出で立ちで、12~13歳位までの少女十数名、鈴振りは頭巾に筒抜きの少年2名、弥十郎は頭巾に袖無し羽織で若者が担当する、というのが正式な形である。
現在、近隣地区小学校の社会学級と仙台市広瀬文化センターの市民講座で構成されているサポータークラブが愛子の田植踊保存会から笛や太鼓・お囃子などを習い、様々なイベントで活動することにより保存・継承の活動を行っている。
役どころ
- 大太鼓(おおだいこ)
- 締太鼓(しめだいこ)
- 笛(ふえ)(六本調子を使用)
- 唄上げ(うたいあげ)
- 弥十郎(やんじゅうろう)
- 鈴振り(すずふり)
- 早乙女(さおとめ)