愛情物語 (1984年の映画)
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東京。16歳の仲道美帆はミュージカル『カーテン・コール』を観劇して感銘を受け、この作品のダンサー採用オーディションを受けることを決意する。幼少期からバレエを習い、踊りに自信を持っていた美帆は、オーディションに向けて日々ダンスの練習に励むが、練習中にダンスシューズが壊れてしまう。シューズを新調する必要に迫られた美帆は、物心ついたときから自宅に保管されている「赤いトウシューズ」のことを思い出す。
血のつながらない養母・治子に育てられた美帆にとって、自分の生い立ちを知る手がかりは、治子が保管していたトウシューズと、毎年誕生日に送られてくる差出人不明の花束だけだった。美帆は治子に、「トウシューズと一緒に置き去りにされた遺棄児だ」と聞かされて育った。美帆は花束の送り主を「あしながおじさん」と呼び、実の両親の手がかりを知る人物と信じていた。美帆は、「トウシューズがぴったり履けるようになったら、あしながおじさんを探しに行く」と心に決め、バレエを始めたのだった。自宅へ飛んで帰った美帆は、トウシューズを履いてみる。トウシューズはすっぽりと美帆の足に収まる。実の親探しの旅に出ることを告げた美帆に対し、治子は「知らないほうがいいこともある」とさとすが、美帆の決意は固かった。
花を注文していた人物の名が「篠崎拓次」であることと、今の篠崎が金沢市に住んでいることを探り当てた美帆は、金沢へ向かう。篠崎は花束のことについて「知らない」と言い張る。陶芸家である篠崎は陶土を調達するため、西日本各地へ向かうところだった。篠崎の態度を疑う美帆は、旅について行く。はじめは疎んじていた篠崎だったが、美帆に早世した妹・真理の面影を見て、美帆の親探しに協力するようになる。
神戸、愛媛県砥部町、佐賀県伊万里市を経て、2人は偽の「篠崎拓次」が花を発送していた住所である長崎市に着く。発送元の長崎の花屋が判明する。花屋は「匿名では荷が送れず、やむなく蔵書に書かれていた篠崎の名と住所を借りた」と明かす。また美帆は、町の写真館で幼少期の自分が見知らぬ女性と写っている写真を発見する。写真の女性・大森妙子の自宅まで来ると、美帆はひとりで入ることを申し出る。篠崎は外で待つ。
妙子の夫・泰三が応対する。美帆は、妙子こそが自分の産みの母ではないかとただす。泰三は真相を明かす。美帆の実の両親は交通事故で死去した。大森夫妻が最初の養父母になったが、美帆の幼少期に妙子が心を病んだため、やむなく妙子の親友であった治子に美帆を預けることにした。泰三は、恋愛も結婚もしないまま子育てをすることを引き受けた治子に対する罪の意識から、名を明かさずに花束を送り続けていたのだった。大森夫妻の邸宅を出た美帆は黙って篠崎と抱き合う。美帆は治子の待つ東京の自宅に戻る。美帆は治子に「私はお母さんに似てるわ」と告げる。
美帆は『カーテン・コール』のオーディションに臨み、合格を果たす。初舞台の日、篠崎と治子が見守る中、美帆は無事に公演を終える。
キャスト
スタッフ
製作
企画
映画監督の大林宣彦によれば、プロデューサーでもある角川春樹が大林に対し、「大林さんで、(原田知世の主演映画を)最低2、3本続けて撮ってください」と当初言っていたが、尾道での『時をかける少女』のロケ撮影を見学した角川が、カメラの前で大林にすべてを委ねる原田に嫉妬し、「自分の方を向かせたい」「2本目の知世の映画は(略)僕が自分で演出したい」として、角川自身が監督をすることになったという[5]。角川は『時をかける少女』の原田と高柳良一の実験室での別れのシーンを観て何度も涙を流す同作の大ファン[6]。一方の角川は製作時のインタビューで「『汚れた英雄』を撮り終えてまる3年は監督はしないつもりでいたんですが、『時をかける少女』をロケ中の知世を見て監督をやろうと決心したんです。知世が輝いてるんです。だからプロデューサーとして今一番おいしいときと感じまして、一時、山口百恵を撮りたいという人が多かったでしょう。知世もいろんな監督が撮りたいと思う女優じゃないですか」などと[7]、2021年の『最後の角川春樹』では『時をかける少女』の陣中見舞いで尾道を訪れた際、原田が2週間前のにっかつ撮影所クランクイン時と比べて、芝居が見違えるほど成長し、大林から「原田知世は天才です」という文面の手紙をもらったことで、「私がこの天才女優を第2作で本物の女優に育て上げよう」と思い立ち、「映画監督はアイドル映画を通過して、時代の息吹を肉体に吹き込むことが必要だ」という自身の信条にのっとった結果でもあったと述べている[8]。
脚本
原田が1983年夏に『あしながおじさん』をミュージカル(第1回マクドナルドミュージカル『あしながおじさん』)をやることが決定していたため[7]、角川が『あしながおじさん』をモチーフにして映画を撮ったら面白いんじゃないかと発想し[7]、赤川次郎に原作を発注した[7][9]。子どものころからクラシックバレエを学んでいた原田の才能を活かそうと角川監督が企画[4]。赤川の原作は、映画化を前提に角川の依頼で、角川書店の雑誌『小説 野性時代』に『カーテン・コール』という題名で連載され、連載終了後に『愛情物語』に改題されてカドカワノベルズから新書版が出版された[10]。原田に魅了された角川は、本格的なミュージカルを作り、原田を女優にすると息巻いた[11]。角川は製作時のインタビューで「ミュージカルには全然興味はない。(撮影を終えた)今も全くない。純粋なミュージカル映画タッチというよりは、むしろアメリカのプロモーションビデオの発想で撮っています。ミュージカルを意識したのは中盤のアメリカ南部風なところだけで、あとはプロモーションビデオを意識しました。知世のプロモーション・フィルムだと私は思っています」などと述べている[7]。
撮影
角川は本作を「原田知世のプロモーションフィルム」と位置づけ、上映時間100分を100シーンのアルバム映画として構成した。これは当時新鋭のビデオメディアだったレーザーディスクでの視聴を念頭に置いた構成だった。作中のミュージカルの上演場面は当時のミュージックビデオを参考に編集と画質調整が行われた。
本作公開の前年に洋画『フラッシュダンス』がヒットし、角川は打倒『フラッシュダンス』を目標に、主演の原田を吹き替えなしで踊らせようと、米国から振付師のミゲール・ガドリューを招き、ダンサーもニューヨークから35名を招致した。原田は上記のミュージカル『あしながおじさん』に出演するために、ブロードウェイのダンサー兼インストラクターだったデビッド・ストーリーに師事しており、ダンスシーンの撮影は問題なく進められた。劇中のダンスシーンで使用される楽曲は7曲[12]。ダンスで肉体を動かすことに集中したため、原田のボイストレーニングをする時間はなかった[6]。
映画は原田が自分の出自を探す旅が物語の主軸で、渡瀬の妹の自死が絡み、それを寸断するようにMTVかと見紛うような原田のダンスシーンが挿入される[11]。新幹線のデッキで、石切り場で、虚を突く場所で原田は踊る。古いテレビを真ん中に画面に踊る原田を映し、その周りを原田が踊る謎映像もある。この点では突然歌いだすミュージカルの伝統を踏襲している。「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」風、「マニアック」風ありの『フラッシュダンス日本版』[11]。撮影の仙元誠三も『フラッシュダンス』は少し影響を受けたと述べている[11]。プラス『ウエスト・サイド物語』[11]。ただ『フラッシュダンス』のジェニファー・ビールスのダンスは吹き替えだが、本作の原田のダンスは本人がきちんと踊っているからよりリアルと思う、と仙元は述べている[11]。
角川は、渡瀬恒彦が演じる篠崎拓次に自身を仮託し、津田ゆかりが演じる拓次の妹・真理を、自殺した実妹の眞理への鎮魂と贖罪として演出した[11][6]。物語中で真理が自殺する場面は、眞理の実母である角川照子がショックを受けないよう、「務めて綺麗に」撮影した。また本作の色調は赤で統一され、赤いトゥーシューズに始まり、赤いバンダナで終わる構成となった[13]。撮影の仙元も前半と後半とでは突然変わる感じなので戸惑い、角川に訊いたらその話を聞かされ納得できたという[11]。赤を無理やり取り入れたのは知世が好きな色だからと[7]、『汚れた英雄』が青をベースのしたから今度は赤をワンポイントにした[7]。
終盤の長崎パートでお化け屋敷にような古い洋館の中に入り、美帆(原田)が暗闇の中、廊下をウロウロし、からくり玩具がたくさん置いてある部屋に入った直後、逆ズームをする。長回しの多かった『汚れた英雄』に比べて細かいカット割りが多いのは「青春映画はたくさんカット割りがあった方がいい」という発想からで[7]。全体100シーンで、カット数は約700[7]。3カ所長回しがあり、一番長いのが終盤その洋館での知世と室田日出男の対峙シーンで5分40秒[7]。
角川はクランクイン前に「私は大林監督と違って鬼のような監督だ」と原田に言ったが[6]、結局原田を一度も怒鳴れなかったという[6]。
美術
ブロードウェイの街並みや店舗を再現した原寸大のセットは、美術・今村力の力作で予算を相当超過したが角川は承認した[11]。真ん中辺りでカフェバー風の店内で外国人が50sファッションで『グリース』のようなダンスを見せるが、店内にミッキーマウスの顔が書かれて画面に何度も映る。商業映画での使用は問題なかったものと見られる。
ロケ地
仲道美帆(原田)の自宅は国立市設定で国立駅の三角屋根駅舎が何度か映る。石川県金沢市ひがし茶屋街。兵庫県神戸市異人館通り。ここから個人タクシーで六甲アイランドフェリーターミナルに行くが、乗務員の名前は「森田芳文」。顔は映さない。神戸-松山-大分を結ぶダイヤモンドフェリー「おくどうご8」に乗り、愛媛県砥部町へ。その後長崎市に向かう。
音楽
- →詳細は「愛情物語 オリジナル・サウンドトラック」を参照
『愛情物語 オリジナル・サウンドトラック』(EASTWORLD WTP-60487~88)収録曲は以下の通り。
- ジル・コルッチ「Dancing in the Night (Long Version)」
- 「〜タイス〜より瞑想曲」
- カルメン・グリロ「Trouble」
- ヘザー・ハフマン「You Could Be the One」
- 原田知世「地下鉄のザジ (Zazie dans le métro)」
- 「忘れ雪』
- ローズマリー・バトラー「Chotto Matte Kudasai」
- 「真理のテーマ」
- カレン・トビン「I Dream of Loving You」
- 原田知世「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」
- 「青春の証明」
- Kathi Pinto「What Can I Do」
- ローズマリー・バトラー「ウイニングラン (Call of the Wild)」
- 「壺の里」
- 「坂のある町」
- ローズマリー・バトラー「男が女を愛する時 (When a Man Loves a Woman)」
- 「黒い森の記憶~黒い木馬」
- 原田知世「愛情物語」
- 「Too Young」
- 「マジカル・ダンス」
- Kathi Pinto「Love's the Answer」
- 「お父さんって呼んでいいですか」
- ジル・コルッチ「Dancing in the Night (Short Version)」
- 原田知世「Curtain Call」
評価
興行成績
『メイン・テーマ』との二本立て興行で約18億5000万円の配給収入を得て、1984年度の邦画作品で2位となった[1]。
受賞歴
批評
『シティロード』は「幻のあしながおじさん探しの旅というストーリーが一応あるが、これはほとんど重要ではなく、全編知世のプロモ風フィルム」などと評した[15]。
文芸評論家の山本健吉や劇作家のつかこうへいは評価したが、多くの映画評論家は本作を黙殺した。また映画監督の森田芳光は、拓次の妹の自殺場面の演出について、「そういう拘りは気をつけて下さい。それが一番落とし穴ですから」「ダメですよ。情念を持ち込んで受けようというのは。映画のデザインとして面白ければ良いですけど」と角川に忠告したとされる。一方で俳優の松田優作は「自分が拓次をやったら、もっとぎゅっと美帆を抱きしめる」と語ったという[16]。
WOWOWは「MTV時代とも呼ばれた1980年代らしく、日本映画としては珍しいミュージカル性重視の作品に仕上がった」と評価している[4]。