慈延
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信濃国水内郡長野村桜小路(現・長野県長野市桜枝町)で五男として生まれる。父から儒学を学び、母から和歌の手ほどきを受けた。母・千賀子の育った松代は、賀茂眞淵の門人・大村光枝が来て和歌を盛んにし、「松の百枝」という百人一首ができるほどであった。[1]
比叡山に登って天台宗の教理を学び、僧となって延暦寺一門の円教院住職となる。しかし、幼い頃に親しんだ和歌の道が忘れられず、冷泉為村に師事して歌道に励んだ。そして和歌に専念するため、洛東岡崎の明真寺に隠棲した。[1]
歌人としては、小沢蘆庵・澄月・伴蒿蹊とともに平安和歌四天王の一人に数えられた。和歌四天王の歌風を論じた橘南渓の『北窓瑣談』に僧慈延が歌学・儒学に通じて、その学殖が優れていることを高く評価して、「新しく・面白くよみて、歌学に漢学を兼備へて、実にこの道の宗匠なり」記されている。[1]