慕容木延 From Wikipedia, the free encyclopedia 慕容 木延[1](ぼよう ぼくえん、拼音: Mùróng Mùyán、生没年不詳)は、鮮卑慕容部の大人。父は慕容部の始祖である莫護跋。子は慕容渉帰・慕容耐。前燕の基礎を作った慕容廆の祖父にあたる。 莫護跋の没後、その後を継いで慕容部の大人となった。 彼の治世についての記録は残っていないが、父同様に魏・西晋との従属関係を保ち続けた。 正始7年(246年)2月、魏の毌丘倹が高句麗討伐に赴くと、慕容木延もこれに従軍して戦功をあげた。同年、功績により左賢王・大都督の位を加えられた[2]。 彼の死後は子の慕容渉帰が大人の位を継いだ。没年は不詳であるが、太康2年(281年)は既に慕容渉帰が大人として活動している事から、それ以前と思われる。 参考資料 『晋書』(慕容廆載記) 『資治通鑑』巻75 , 巻81 『十六国春秋』巻23 『魏書』(列伝第83) 脚注 ↑ 史書には木延という名しか書かれておらず、彼の時代から慕容という姓を持っていたかは不明。 ↑ 『十六国春秋』による。『魏書』によれば大都督の記載はなく、左賢王のみ与えられている。 先代莫護跋 慕容部の大人第2代:? - ? 次代慕容渉帰 Related Articles