慕容遵 From Wikipedia, the free encyclopedia 慕容 遵[1](ぼよう じゅん、生没年不詳)は、五胡十六国時代の前燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。前燕の燕王慕容皝の子。 咸康3年(337年)6月、段部の大人段遼は慕容皝討伐のため、従弟の揚威将軍段屈雲を遣わした。慕容皝は慕容遵に精騎を与え、興国城[2]で夜襲を仕掛けた。慕容遵は段屈雲を討ち取り、その兵を尽く捕虜とした。 元璽3年(354年)4月、臨賀王に封じられた。 これ以後の事績は、史書に記されていない。 家系 父 慕容皝 - 字は元真 兄弟 慕容儁 - 次男、字は宣英 慕容恪 - 四男、字は元恭 慕容垂 - 五男、字は道明 慕容友 慕容宜 慕容桓 慕容徽 慕容龍 慕容納 慕容秀 慕容嶽 慕容徳 - 字は玄明 慕容黙 慕容僂 慕容宙 姉妹 慕容氏 - 代王拓跋什翼犍にとついだ 慕容氏 - 夫余王余玄にとついだ 新城公主 - 蘭審にとついだ 脚注 ↑ 『資治通鑑』・『十六国春秋』では、慕容逮と記されている。 ↑ 『晋書』巻109では、五官水上で戦ったと記されている。 参考文献 『晋書』巻109 『資治通鑑』巻95、巻99 『十六国春秋』巻27 Related Articles