慕容桓

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慕容 桓(ぼよう かん、生年不詳 - 370年)は、五胡十六国時代前燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。前燕の燕王慕容皝の子。

元璽3年(354年)4月、宜都王に封じられた。

鎮北将軍に任じられた。

建熙8年(367年)2月、撫軍将軍慕容厲とともに勅勒を攻めた。

建熙11年(370年)11月、慕容桓は1万余の兵とともに沙亭に屯していた。太傅慕容評の援軍で向かおうとしていたが、慕容評が敗れたと聞き、内黄に移った。その後、慕容桓は5千の兵とともに龍城へ向かった。

龍城を守っていた鎮東将軍慕容亮を殺害、慕容亮配下の軍を併合して遼東に奔った。遼東郡太守韓稠は前秦に降伏していたため、慕容桓らを入城させなかった。慕容桓は平川で韓稠と戦ったものの、勝つことはできなかった。前秦の游撃将軍郭慶は、将軍朱嶷を遣わして慕容桓らを攻撃した。敗れた慕容桓は単騎で逃走したが、朱嶷に捕らわれて殺害された[1]

家系

脚注

参考文献

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