成田ミイラ化遺体事件
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| 最高裁判所判例 | |
|---|---|
| 事件名 | 殺人被告事件 |
| 事件番号 | 平成15(あ)1468 |
| 2005年(平成17年)7月4日 | |
| 判例集 | 刑集第59巻6号403頁 |
| 裁判要旨 | |
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脳内出血による意識障害に陥った重篤な患者に対して、患者の親族からの「シャクティ治療」の依頼を受けた者が、主治医らの警告を無視した上で入院中の患者を運び出し、未必の故意による殺意をもって、患者の生命維持に必要とされる医療措置を何ら施さずに放置し、死亡させた事案において、不作為の殺人罪が成立するとした事例。 | |
| 第二小法廷 | |
| 裁判長 | 中川了滋 |
| 陪席裁判官 | 福田博、滝井繁男、津野修、今井功 |
| 意見 | |
| 多数意見 | 全員一致 |
| 意見 | なし |
| 反対意見 | なし |
| 参照法条 | |
| 刑法199条 | |
成田ミイラ化遺体事件(なりたミイラかいたいじけん)は、1999年(平成11年)11月11日、千葉県成田市のホテルで発生した殺人・保護責任者遺棄致死事件。
自己啓発セミナー団体であるライフスペースの高橋弘二は、頭部を手で軽く叩く「シャクティパット」と呼ぶ方法で病気を癒すことができると喧伝していた[2]。これを信じた男が、高齢の家族を病院から連れ出し、成田市のホテルで高橋によるこの治療法を試みた[2]。この家族はそのまま死亡したが、高橋はこの家族はまだ生きていると主張し、男をはじめとした周囲もこれを信じた[2]。
1999年11月11日、ホテルから「4ヶ月以上も宿泊している不審な客がいる」と通報を受けた成田警察署署員が、ホテルの部屋を捜索してミイラ化した遺体を発見した[3]。
事件の異常さや、高橋が記者会見で「定説」として「(被害者は)司法解剖されるまで生きていた」などと主張したことから、ワイドショーなどで大きく報道された[4][5]。
翌2000年に高橋と男を含む11名が保護責任者遺棄致死で逮捕され、高橋が殺人で、男が保護責任者遺棄致死で起訴された(残りの9名は起訴猶予)[6][7][8]。
刑事裁判
第一審・千葉地裁
2000年7月4日、千葉地方裁判所(小池洋吉裁判長)で高橋に対する裁判の初公判が開かれ、罪状認否で高橋は「全面的に否認します」と述べて無罪を主張した[9]。冒頭陳述で検察側は「『グル』の体面や多額の金員取得のため、被害者を死亡させることもやむなしと決意した」と未必の故意を主張した[9]。一方、弁護側は「殺害にあたらず、犯意も認定できない」と述べて無罪を主張した[9]。
2001年9月27日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「動機は悪質で非人間的。あえて殺人覚悟で犯行に及んだ」として懲役15年を求刑した[10]。
2001年11月27日、最終弁論が開かれ、弁護側は「被害者の家族が望んだ可能な限りの介護を施した」として改めて無罪を主張した[11]。一方、高橋は弁護側の最終弁論に対し「絵空事作文」と述べて批判した[11]。また、裁判長が高橋の公判中の発言に対する真意を問いただしたが、高橋は「本意に基づくと言うことですね」と述べて閉廷を宣言した[11]。
2002年2月5日、千葉地裁(小池洋吉裁判長)で判決公判が開かれ「悪行、虚言、矛盾が被害者の死亡という避けられない形となって表れたもので、自業自得と言うには余りにも愚かで、悪質な犯情と言わざるを得ない」として求刑通り懲役15年の判決を言い渡した[12][13]。弁護側は判決を不服として即日控訴した[13]。
控訴審・東京高裁
2003年6月26日、東京高等裁判所(須田賢裁判長)は「被害者を病院から連れ出した時点で、被告に殺意があったとした一審判決は誤り」として不作為犯を認定、一審判決を破棄して懲役7年の判決を言い渡した[14]。弁護側は判決を不服として即日上告した[14]。
上告審・最高裁第二小法廷
2005年7月4日、最高裁判所第二小法廷(中川了滋裁判長)は「男性の重い症状を認識し、必要な医療措置を受けさせる義務があったのに、放置したのは殺人罪に当たる」として上告を棄却する決定を出したため、高橋に対する懲役7年の判決が確定した[15]。
共犯の男の裁判
2000年7月14日、千葉地裁(下山保男裁判長)で初公判が開かれ、罪状認否で「すべて父を助けるためだった」と述べて犯意を否認した[16]。
2001年1月19日、被告人質問が行われ、男は「今後一切、高橋の指示、意見を聞く気はないし、彼が所属する団体の活動にも参加しない」と述べて高橋との関係を断ち切ると宣言した[17]。
2001年2月23日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「遺棄した故意が認められる。死者を冒涜し、冷酷非情で反社会的、反人道的な犯行」として懲役4年を求刑した[18]。
2001年9月28日、千葉地裁(下山保男裁判長)で判決公判が開かれ、被害者の病状などを把握した上で病院から連れ出した行為を「犯罪の認識があった」と認定して懲役2年6月・執行猶予3年の判決を言い渡した[19]。この判決に対し、検察側と弁護側の双方が控訴しなかったため、懲役2年6月・執行猶予3年の判決が確定した[20]。