戸口天従

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1931-10-29) 1931年10月29日(93歳)
身長
体重
175 cm
85 kg
戸口 天従
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 奈良県奈良市
生年月日 (1931-10-29) 1931年10月29日(93歳)
身長
体重
175 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1953年
初出場 1953年
最終出場 1966年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

戸口 天従(とぐち たかつぐ、1931年10月29日 - )は奈良県奈良市[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。

奈良商工高等学校から法政大学に進む。遊撃手として活躍するが、東京六大学野球リーグでは優勝に届かず、1951年秋季リーグの2位が最高成績。

1953年近鉄パールスへ入団。1955年には故障欠場の鈴木武に代り遊撃手の定位置を獲得、初の規定打席(33位、打率.240)に到達する。翌1956年には二塁手に回るが、ピストル打線のレギュラーとして活躍した。しかし1959年千葉茂が監督になってからは出場機会が減少。

1960年阪急ブレーブスへ移籍。1961年には滝田政治岡本健一郎との一塁手争いを勝ち抜き、打率.312の好成績を記録、1963年までレギュラーを守る。その後は石井晶に定位置を譲るが、控え一塁手や代打として起用され、1966年限りで引退した。引退後は串かつの店を経営した。

当時としては珍しい右投左打の内野手であった。守備位置は当初は三遊間を守ることが多かったが、のちに二塁となり、晩年は一塁専門であった。

詳細情報

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI