扇町屋
入間市の地名
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地理
歴史
古くは金子郷[6]、山口領に属し[7]、鎌倉時代には旧鎌倉街道のひとつ狭山路が通っていた[8]。また室町時代には大火があり、この時から愛宕神社に火産霊命、別雷命を合祀して愛宕権現と呼ばれるようになった。
江戸時代初期の正保年間には石高70石の小村だったが、青梅から川越に至る街道と八王子から日光へ向かう街道の交点にあたり伝馬が整備され、宿場が発達した。江戸時代の扇町屋宿は長さ6町ほど、道幅8間余り、戸数90軒、三と八のつく日に穀物などを売る市が立ったと言われる[4]。米穀商が多く、八王子千人同心の日光行では往還の際に利用されていた[9][10]。また大山阿夫利神社への大山詣でに使われた八王子通り大山道(熊谷 - 丹沢・大山)の宿場町でもあった[11]。正保期には旗本・朝比奈源六郎領と愛宕社領の入会地が混在したが、1843年(天保14年)に天保の改革の一環で上知令により朝比奈領は上地(天領)となり、上知令を含む天保の改革自体が頓挫した後は田安徳川家の領地となった[4]。この時代の地名に上、中、下、大水久保、山王塚、古塚、金堀澤、神名久保、本宿が挙げられる[4]。また東南方7、8町離れた場所に扇町屋新田と呼ばれる新田があり、本村の持添であった。元禄6年(1693年)に本村の検地が近山与左衛門・瀧野十右衛門により、宝暦8年(1758年)に新田の検地が伊奈半左衛門によって行われた[4]。
明治時代に入ると1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、扇町屋村は黒須村、高倉村、善蔵新田の3ヶ村と合併して豊岡町となった[7]。この時代にも1877年頃創立された大山敬慎講の定宿となっていた[11]。1901年(明治34年)から1917年(大正6年)までは入間川町と青梅町とを結ぶ中武馬車鉄道が引かれ、本社が扇町屋に置かれた。1956年に豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)の合併によって大字扇町屋は新設された武蔵町に所属した。1966年に武蔵町は入間市に移行して入間市扇町屋となった。1982年8月1日に一部の地域が高倉の一部と併せ扇台に、翌1983年11月16日にも一部の地域が善蔵新田・東町と併せ久保稲荷となった。また、1984年4月1日にも一部の地域が黒須・河原町及び1983年4月1日に狭山市から編入された入間川を併せ向陽台となった[12]。
地名の由来

沿革
史跡
- 扇町屋上町の道標(市指定文化財)- 扇町屋下町の道祖神道標は現在の豊岡地区に属する[13]。

