打出浜の戦い
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経過
尊氏・師直は直義勢を難なく打ち破れると考えていたようだが、師直に反感を持つ多くの武将が直義に従っていたため苦戦に陥る。尊氏は播磨に兵を引き、高師泰らの軍勢と合流し再起を図る。その間に、尊氏勢の中から直義勢に寝返る武将が現れ始めた(光明寺合戦)。2月17日(3月15日)、尊氏軍は直義軍と摂津国打出浜(兵庫県芦屋市)で決戦し、数の上では優位であったが、戦意に勝る直義軍の前に、あっさりと敗北した。2万はいた軍勢が1000足らずにまで打ち減らされた。結局、師直・師泰兄弟の出家を条件に尊氏と直義の和議が成立した。2月26日(3月24日)早朝、尊氏は師直兄弟を伴って京都に向かった。しかし、師直兄弟は摂津から京都への護送中に、怒り狂って待ち受けていた直義派の上杉能憲(師直に殺害された重能の養子)と三浦八郎左衛門らの軍勢により、摂津の武庫川(兵庫県伊丹市)で一族とともに殺害された。
影響
直義派は高兄弟の排除に成功し、主導権を奪還した。尊氏派・直義派は一旦は和睦したものの対立は収まらず、両者は再び戦いを始めることとなる。滅亡寸前にまで追い込まれていた南朝だったが、直義の降伏をきっかけに以後も北朝方武将の降伏が続き、南北朝の動乱が長引いた。