投壺
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歴史

投壺は『春秋左氏伝』にも見える非常に古いゲームである[2]。『礼記』および『大戴礼記』に投壺篇があり、投壺の儀礼、壺と矢の寸法、席から壺までの距離などを細かく規定している。
後世になると、『礼記』の記述とは異なる多くの特殊ルールがつけ加えられていった。たとえば『西京雑記』によると、壺に投げ入れた矢がはねかえるのを「驍」といって尊んだという[3]。顔之推『顔氏家訓』の雑芸篇でも、驍が重視されたことが見える[4]。また、壺の脇に「耳」と呼ばれる部分を設け、そこに矢が通るのを通常よりもよいとした。
北宋の司馬光は投壺が礼記から離れた特殊な技能を競う娯楽になっていることを批判して『投壺新格』を著し[5]、新しいルールを定めた。ただし司馬光のルールは当時すでにあったルールを改訂したものであり、礼記のルールとは一致しない。
ルール
『投壺新格』によると、投壺に使用する壺は高さ1尺、口の口径3寸で、その両側に2つの「耳」と呼ばれる口径1寸の穴がある。長さ2尺4寸の矢(箭)が12本あり、それを矢の長さの2.5倍(6尺)離れた所から投げる。12本全部が成功するとその場で勝ちになる。それ以外の場合は、矢のはいり方により得点があり、得点の合計が先に120点に達した側の勝ちとなる。点数には以下のものがある。
- 最初の1本が成功すると10点(耳にはいると20点)。2本め以降も連続して成功すると、ひとつ5点。
- 最後の1本が成功すると15点。
- 耳にはいると10点。
- 驍(矢がはねかえる)は10点。
- それ以外は成功すると1点。
司馬光以前には壺の上に矢が載ったときなどにボーナス点があったが、『投壺新格』ではこれを廃止している。

