押小路甫子 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代後期‐明治時代生誕 文化5年10月7日(1808年11月24日)死没 明治17年(1884年)9月12日改名 満子→甫子 凡例押小路甫子時代 江戸時代後期‐明治時代生誕 文化5年10月7日(1808年11月24日)死没 明治17年(1884年)9月12日改名 満子→甫子別名 隠居女官名:椹木官位 儲君御乳人、東宮御乳人、大御乳人、前大御乳人主君 孝明天皇→明治天皇氏族 小槻氏嫡流壬生家→中原氏嫡流押小路家父母 実父:壬生正路養父:押小路師武テンプレートを表示 押小路 甫子(おしこうじ なみこ)は、江戸時代後期から明治時代にかけての女官、著作家。大外記押小路師武の養女。孝明天皇幼時の御乳人を務め、のち孝明朝の大御乳人。日記『大御乳人甫子記』や、随筆『大御乳人甫子雑記』を著した。 文化5年10月7日(1808年11月24日)、左大史の壬生知音の次男壬生正路の娘として生まれる[1]。初名は満子[1]。その後、大外記の押小路師武の養女となる[1]。壬生家と押小路家は、共に「地下官人の棟梁」とされ、下級実務官僚の首座とされた家格である[2]。 天保6年(1835年)7月、仁孝天皇第四皇子の煕宮(後の孝明天皇)の儲君御乳人(おちのひと、乳母)となる[1]。東宮御乳人を経て、弘化3年(1846年)2月、孝明天皇が受禅し、大御乳人(中級女官である命婦の次席)となる[1]。慶応3年(1867年)1月、明治天皇践祚に伴って大御乳人を辞すが、明治4年(1871年)6月まで前大御乳人として勤仕した[1]。隠居女官名は椹木[1]。 明治17年(1884年)9月12日、数え77歳(満75歳)で死去[1]。 その日記『大御乳人甫子記』全25冊は、安政6年(1859年)から明治4年(1871年)までの職務記録を記した貴重史料[1]。『大御乳人甫子雑記』全3冊と合わせ、大部分は『日本史籍協会叢書』に『押小路甫子日記』として所収されている[1]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 武部 1997. ↑ 武部 1997b. 参考文献 武部敏夫「押小路甫子」『国史大辞典』吉川弘文館、1997年。 武部敏夫「押小路家(一)」『国史大辞典』吉川弘文館、1997b。 Related Articles