持倉鉱山

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座標北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度 / 37.67417; 139.34917座標: 北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度 / 37.67417; 139.34917
持倉鉱山
所在地
所在地東蒲原郡三川村
新潟県
日本
座標北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度 / 37.67417; 139.34917座標: 北緯37度40分27秒 東経139度20分57秒 / 北緯37.67417度 東経139.34917度 / 37.67417; 139.34917
生産
産出物亜鉛
歴史
閉山1920年 (1920)
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

持倉鉱山(もちくらこうざん)は、新潟県東蒲原郡三川村にあった鉱山江戸時代会津藩によって採掘が始まり、明治後期には五泉の実業家・小出淳太によって本格的な銅山開発が行われた[1]。1919年(大正8年)には三井鉱山に買収されたが、翌1920年(大正9年)に閉山した[1]。最大の産銅量となった1917年(大正6年)には約700人が働いていた[2]太平洋戦争後は蛍石の採掘も行われていた[1]

2022年には持倉鉱山からみ煉瓦遺構として産業遺産に認定された[3]

関連項目

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