銀山

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ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州 シュグゲンタール(フライブルク・イム・ブライスガウ近く)の地下銀鉱山

銀山(ぎんざん、silver mine)とは、鉱石を産出する鉱山のこと。

自然銀の他、亜鉛硫黄砒素などとの化合物またはそれらの鉱石の混在物として銀が取り出される。黄銅鉱および方鉛鉱などに銀鉱物濃紅銀鉱輝銀鉱など)を含むもの、石英中に自然銀および輝銀鉱などが脈をなす銀黒(ぎんぐろ)などが存在する。これらの大部分が地下の金属溶解した熱水の作用により生成した熱水鉱床であり、造山帯周辺に位置することが多い。

金山は砂金採集など比較的小規模な経営形態から稼行が可能であるが、銀山については多くの場合、大規模な坑道の開発が不可欠であり、より強大な国家権力と、高い製錬技術を必要とする。

歴史

紀元前4千年紀後期のメソポタミアエジプトの、ともに先王朝時代(ウルク文化エジプト先王朝時代)末期の土層から銀製品が出土しているため、その頃までには銀の採掘が行われていたと考えられる。

西洋

古代の銀山は、アナトリア半島イベリア半島アッティカ地方、グレートブリテン島カルパティア山脈アイフェル山地のものが知られる。

西ヨーロッパではフッガー家チロル地方の銀山からの収益により、神聖ローマ皇帝教皇に対して多大な影響力を行使した。しかしスペイン新大陸の征服領土でサカテカスポトシの巨大な銀鉱脈を開発すると、世界的な銀価値の暴落が起こり、フッガー家も打撃を被っている。

日本

日本書紀天武天皇3年(674年・7世紀末)の記述として、対馬国司守 忍海造大国(おしぬみのみやつこおおくに)が、「この国で初めて銀が出ましたので、たてまつります」と報告してきたのが、文献上の国産銀の初見であり、飛鳥時代から銀が産出されるようになった(どの山かの記述はなし)。これにより大国は小錦下の位を授けられた。この国産初の銀は全て神々にたてまつり、小錦以上の大夫たちにも普(あまね)くそれを賜ったとある。

中世ごろは金、銅とならんで貴重な輸出資源であって、金山銅山同様多くの場合時の権力者が直轄するという形を取っている。日本では天領となった石見銀山(島根県)、生野銀山(兵庫県)が有名。

戦国時代になると銀山をめぐっての争いを生んでいる。豊臣政権時代には銀山は金山とともに直轄領となり、政権の運営資金とされた。銀山より山出しされた灰吹銀は、極印が打たれ秤量貨幣として大口取引に使用された。これらは領国貨幣と呼ばれ、江戸幕府による丁銀の発行まで、貨幣として重要な役割を果たした。

日本でかつて採掘された主な銀山

現在日本での銀の産出は、金鉱山である菱刈鉱山で金の副産物として銀が産出する程度である。

現代の銀山

脚注

関連項目

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