政策起業家

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政策起業家(せいさくきぎょうか、英語: policy entrepreneur)は、公共政策の形成、採択または変更を実現するために、自らの時間、労力、評判、資金その他の資源を投入し、政策過程のなかで課題設定、代替案の提示、支持連合の形成などを通じて政策変動を促そうとする行為者を指す概念である[1][2]。日本語では「政策企業家」という表記もみられる[3][4]

この概念は、ジョン・キングダン政策の窓モデル(multiple streams framework)の文脈で提示したものであり、政策起業家は、問題・政策・政治という三つの流れが結びついて「政策の窓」が開くとき、それらを接合して政策実現を図る重要な行為者とされる[1][4]。2000年代以降、この概念はアジェンダ設定研究にとどまらず、政策変動政策学習政策移転、危機対応、越境的政策形成などの研究にも拡張されている[5][6][7]

政策起業家は、経済的利潤の獲得を主眼とする通常の「起業家」とは異なり、政策上の目的を実現するために行動する唱道者として把握される[1]。その動機としては、政策目標の達成、理念の実現、所属組織や支持基盤への利益誘導、あるいは評判や地位の向上などが挙げられる[1][8]

政策起業家は、議員官僚首長などの公職者に限られず、利益団体の関係者、シンクタンク研究員、研究者市民活動家専門家その他の政府外アクターも含みうる[2][9]。そのため、政策起業家は特定の職名ではなく、政策変化を推進する役割概念または行為様式として理解される[10]。日本でも、この概念は理論的概念としてのみならず、政策形成を主導し、政策案を実装段階まで持ち込む実践的能力を捉える視角として受容されている[4][11]

概念の成立

「政策起業家」という概念は、キングダンのアジェンダ設定研究において明確な輪郭を与えられた[1]。キングダンは、政策形成の場には、特定の政策案や問題定義を推進するために、自らの資源を投じる行為者が存在するとし、それを policy entrepreneur と呼んだ[1]。この定式化は、政策形成が制度や構造だけでなく、機会を見極めて働きかける行為者によっても左右されることを示した点で大きな影響を与えた[2]

その後、Mintrom と Norman は、政策起業家概念を政策の窓モデルの内部に位置づけられる一要素にとどまらず、政策変化を説明するより一般的な理論資源として再整理した[2]。さらに Frisch-Aviram らの systematic review は、約40年の研究蓄積を整理し、研究対象が個人属性から戦略、制度条件、政策領域へ拡大してきたことを示した[9]

政策の窓モデルの模式図。問題・政策・政治の三つの流れが結びつくと、政策の窓が開く。

政策の窓モデルとの関係

政策の窓モデルでは、政策過程は「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」という相対的に独立した三つの流れから成るとされる[1][4]。政策の窓が開くとき、政策起業家はそれらの流れを接合し、ある政策案を政府の議題へ押し上げる役割を果たす[1]

この文脈で政策起業家に求められるのは、単に独創的な政策案を提示することではなく、問題を適切に定義し、実現可能な代替案を準備し、さらに政治的支持を確保することである[2][12]。キングダンは、こうした行為者の主要資源として、発言の機会、政治的連結能力、そして粘り強さを挙げている[1]

特徴

政策起業家に関する研究では、その特徴として、政策課題の把握と代替案の構築を結びつける能力、異なる組織や制度のあいだをつなぐネットワーク形成能力、説得や問題の再定義を通じて支持を広げる能力、政策実現まで関与を継続する持続性などが指摘されている[8][9]

Mintrom は、効果的な政策起業家に必要な要素として、社会的鋭敏さ、問題のフレーミング能力、チーム形成能力、長期的な粘り強さを重視している[8]。Frisch-Aviram らのレビューでは、研究の多くが、政策起業家の特徴を「能力」だけでなく「利用可能な資源」「制度的位置」「選択される戦略」との関係で捉えていることが示されている[9]

戦略

政策起業家の主要な戦略としては、課題のフレーミング、支持連合の構築、政策案の事前準備、意思決定の場の選択、象徴的言説の活用などが挙げられる[9][5]。これらの戦略は、政策の窓が開いた瞬間にだけ働くものではなく、窓が開く以前から代替案を温存し、関係者との連携を準備しておく過程と結びついている[8]

近年の研究では、政策起業家が行政組織、政府間関係、政策領域などの境界を横断しながら行動することも強調されている[5]。また、危機時には、問題の意味づけ、優先順位づけ、政策選択肢の絞り込みを通じて政策起業家の役割が増幅されることが論じられている[7]

隣接概念との関係

政策起業家は、政策学習政策移転政策拡散政策の窓モデルなどの概念と密接に関連するが、同一ではない[2][5]。政策学習が知識や経験の蓄積と活用に着目するのに対し、政策起業家概念は、そうした知識を政策変化へ結びつける行為者と行為に焦点を当てる[2]。また、政策移転や政策拡散が政策アイデアや制度の移動過程を扱うのに対し、政策起業家研究は、それらの移動を促進・媒介するアクターの役割を問う傾向が強い[5]

また、政策の窓モデルに関連して提起されたproblem broker(問題仲介者、問題ブローカー)概念は、政策起業家と区別されることがある。problem broker は、ある状況を公共問題として定義し、その定義を政策過程のなかで受容させる役割に重点を置くのに対し、政策起業家は問題・政策・政治の諸要素を接合し、政策変化の実現を図る、より広い行為者概念として理解される[13]

政策の窓モデルとの関係では、政策起業家はその理論を構成する一要素として現れるが、その後の研究では、より広い政策過程研究に応用され、単独でも分析概念として用いられるようになった[2]

実証例

政策起業家概念は、多くの政策領域の事例研究で用いられている。問題フレーミング型の例として、気候変動政策の研究では、政策起業家は問題のフレーミングを通じて大規模な行動変容を促しうる存在として論じられている[14]

アジェンダ化の例として、公衆衛生政策の分野でも、政策起業家は重要な役割を果たすとされる。たとえばスウェーデンの公衆衛生政策過程を検討した研究では、政策の窓の開閉と政策起業家の働きが結びつけて分析されている[12]。また、近年のジンバブエの事例研究では、政策起業家が地域レベルの保健課題を上位の政策アジェンダへ押し上げる際の構造と機能が検討されている[15]

制度導入を媒介する例として、教育政策でも、政策起業家概念は適用されている。欧州の学生移動政策に関する研究では、1980年代半ばの政策導入過程において、欧州委員 Peter Sutherland のような行為者が問題定義と支持形成を通じて政策導入を促進した事例が分析されている[16]。これらの事例は、政策起業家が単独で政策変化を生み出すというよりも、既存の制度条件や政策の窓を利用しながら変化を媒介することを示している[14][16]

研究の展開

2000年代以降、政策起業家研究は政策の窓モデルの枠内にとどまらず、越境的政策形成、発展途上国の政策改革、組織間協働、危機管理などの領域へ拡張した[5][6][7]。越境的政策形成に関するレビューでは、政策起業家が行政組織、国家、政策領域などの境界を横断して行動する点が重視されている[5]。発展途上国研究では、制度的脆弱性や権力構造の不均衡が、政策起業家の役割を相対的に大きくする可能性が指摘されている[6]

2020年代に入ると、研究の射程はさらに広がった。第一に、street-level policy entrepreneurship に関する研究では、最前線の実施官僚や実施機関が、単なる執行主体ではなく、政策設計の修正や新たな政策実践の形成を促す行為者として分析されている[17][18]。第二に、危機研究では、政策起業家が常に先取り的・能動的に機会を探索するのではなく、重大な出来事への対応のなかで反応的に現れる場合があり、これをreactive policy entrepreneurshipとして捉える議論が展開されている[19]。第三に、地方政府や州・自治体レベルを対象とするsubnational policy entrepreneurship の研究では、政策起業家の属性や行為過程の一般化可能な特徴を整理する体系的レビューが現れている[20]

さらに近年では、個人としての「政策起業家」よりも、複数のアクターによる実践としての「政策起業家性」または「政策起業家活動」に焦点を当てる議論も現れている[10]。この立場では、政策変化は特定の英雄的個人だけによって生じるのではなく、複数の行為、資源、制度的条件の組み合わせとして分析される[10]

日本の近年の研究でも、政策起業家概念は新たな領域へ展開している。たとえば科学技術政策研究では、科学的知見を公共政策に反映させるプロセスのなかで、研究者が自らの知見をもとに政策革新を主導する主体を「学術的政策起業家」として捉える議論が現れている[21]。この議論は、政策起業家が単に政策案を唱道するだけでなく、科学と政策という異なる制度的論理のあいだを媒介しつつ政策実装をめざす存在であることを示している[21]

日本における受容

日本でも、この概念は政策過程研究、行政学、科学技術政策研究などで用いられている[4][21]。一方で、訳語として「政策起業家」と「政策企業家」が併用されるほか、稲生信男はキングダン・モデルの日本語での紹介に際して「政策企業家」「政策事業家」「政策アクティビスト」などの表現がみられることを指摘している[4]。このため、日本での概念受容は進んでいるが、訳語と適用範囲の整理にはなお余地がある[4][3]

また、日本では、この概念が自治体実務論にも接続されている。大杉覚は、自治体職員に求められる資質を論じるなかで、policy entrepreneur をヒントに「政策企業力」という語を用い、政策案を企画する能力だけでなく、それを実践へ具体化するために持続的に働きかける力を強調している[11]。これは、政策起業家概念が日本では学術理論にとどまらず、行政実務における政策形成能力の記述にも応用されていることを示す例である[11]

さらに、2020年代には「政策起業家」という語が一般読者向けの新書の表題にも用いられるようになり、政治家や官僚に限らず、制度変更を働きかける市民的実践を表す表現としても流通している[22]。ただし、こうした一般向け用法は、学術研究における操作概念としての「政策起業家」とは必ずしも同一ではなく、区別して扱う必要がある[4][21]

批判と課題

政策起業家概念に対しては、いくつかの批判がある[2][9][10]。第一に、概念の使用範囲が広く、誰を政策起業家とみなすかの基準が曖昧になりやすいことである[9]。第二に、研究が成功事例に偏りやすく、失敗した政策起業家活動や不可視の調整行為が過小評価されがちである[10]。第三に、個人の能動性に注目しすぎることで、制度や構造的制約の重要性を過小評価するおそれがある[2][10]

方法論上の課題も大きい。近年の検討では、政策起業家の同定方法が研究ごとに大きく異なり、事後的に成功事例から逆算して政策起業家を認定する傾向がみられることが指摘されている[23]。この問題は、政策起業家の出現条件、失敗事例、成功要因を比較可能な形で分析することを難しくし、概念の操作的定義の精緻化を求める議論につながっている[23]

さらに、概念が広く普及した結果、政策変化を説明する多くの研究で比喩的に用いられ、理論的厳密性が損なわれる危険も指摘されている[9]。そのため近年では、概念の操作的定義を明確にし、行為、文脈、成果の関係をより厳密に分析する必要性が論じられている[9][10]。日本においても、一般向けの実践概念、自治体実務上の能力概念、学術研究上の分析概念が同じ「政策起業家」ないし「政策企業家」という語で語られることがあり、概念の水準を区別することが課題となる[4][11][22]

脚注

参考文献

関連項目

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