斉藤陽子
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斉藤 陽子 (Takako Saito) | |
|---|---|
| 生誕 |
齋藤美紗子(後に斉藤陽子に改名) 1929年1月14日 |
| 死没 |
2025年9月30日(96歳没) |
| 国籍 |
|
| 教育 | 日本女子大学、文化学院、ブルックリン美術館美術学校、アート・スチューデンツ・リーグ |
| 著名な実績 | 参加型アート、マルチプル、インスタレーション、 オブジェ、 パフォーマンス、 アーティストブック |
| 代表作 | チェスセット (1964~)、ユー・アンド・ミー・ショップ (1965頃~)、ペーパー・キューブ(1971~)、 ゲーム/パフォーマンスウェア(2000頃~) |
| 運動・動向 | 創造美育協会、フルクサス |
| 受賞 | ノルトライン=ヴェストファーレン州大芸術展 美術家賞 (2000) |
| 後援者 | ロザンナ・キエッシ、フランチェスコ・コンツ、ルイジ・ボノット、ジーノ・ディマッジオ、ホルガー・ルンゲなど |
斉藤 陽子(さいとう たかこ、1929年1月14日[1] - 2025年9月30日[2])は、福井県生まれの現代美術家。1960年代を代表する芸術運動、フルクサスで活動し、晩年までフルクサス関連の展示に参加し続けた 。1978年からデュッセルドルフ在住、2025年に同地にて死去。
生涯に概算で2,800点の作品を制作し、逝去時点の各収蔵機関の公表資料から確認できる範囲では、世界合計で60以上の収蔵機関に500点以上が収蔵されている。
彼女の作品の中で数多く収蔵されているシリーズは、チェスセット (1964~)、ユー・アンド・ミー・ショップ (You + Me Shop、1965頃~)、ペーパー・キューブ(1971~)、 ゲーム/パフォーマンスウェア(2000頃~)、絵画(1950~60年代)である。
初期の活動
出典:[3]
児童心理学を日本女子大学で、服飾を文化学院で学んだ後、斉藤は、1952年に久保貞次郎によって創立された、戦後の最も重要な民間美術教育運動である、創造美育運動に関わるようになる[4]。創造美育協会福井支部の創設メンバーとして、機関紙の編集・発行に携わったほか、同協会のエッチングマシンやツールを用いて銅版画を独学。同協会のスター作家であった瑛九に傾倒し、その影響を受けた抽象画を制作した。
斉藤は、同協会が催したサマーキャンプに参加した時に、デモクラート美術家協会の東京メンバーであった靉嘔に出会う。彼は、斉藤の最初の前衛美術に関しての情報源になり、のちに彼が1958年に東京からNYに移住したあとも、重要な協力者となった[4]。ニューヨークに魅了された靉嘔からのレポートによって、斉藤はニューヨークに移ることを決意し、表面上は織物の卸売業者のアシスタントとして、1963年に渡米する。彼女は、靉嘔からフルクサスの創設者でありニューヨーク前衛美術の重要人物、ジョージ・マチューナスを紹介された。
フルクサス
斉藤は、1960年代から1970年代を通してフルクサス運動に関わり[5]、ジョージ・マチューナスの助手として、フルクサスのマルチプル(フルックスキット)を制作したほか、ジョー・ジョーンズ、塩見允枝子、久保田成子、小野洋子などのアーティストたちとのコラボレーションの中で、木箱やチェスセットなどのオブジェ(小立体)、インスタレーション、パフォーマンス、絵画・版画作品など多様な作品を製作した。フルクサス1(1962)やフルックス・キャビネット(1975 – 1977)などのフルクサスの集合作品(コンピレーション)にも参加している。
多様性に富んだ彼女の作品は、ソーホーのフルクサスのショップで売られた。1965年には、彼女のロフトで制作していたジョー・ジョーンズを訪問したニューヨーク近代美術館(MoMA)の関係者の眼にとまり、その後、木箱作品やフルックスチェス(フルクサスシリーズの中のチェスゲームのバリエイション)など10数点が収蔵された[6]。特に、人間の五感に訴えるチェスのシリーズ(Smell Chess、Spice Chess、Weight Chess、Grinder Chessなど)は初期フルクサスを象徴する代表的な作例として紹介されている。
欧州での活動
斉藤は、1968年にニューヨークを離れ、1978年までヨーロッパ各地を転々としながら活動した。フランスではジョージ・ブレクトやロベール・フィリウと協働し、ベンジャミン・ボーティエ(Ben)の紹介で初の個展を開催した。イギリスでは独立系出版社ボー・ゲスト・プレスでアーティストブックを制作し、イタリアでは、ロザンナ・キエッシ、フランチェスコ・コンツ、ルイジ・ボノット、ジーノ・ディマッジオなどの支援を受けながら、マルティプルやインスタレーション作品を制作した[7]。
後期の作品には、鑑賞者とパフォーマーの間の境界を無くしていく、というフルクサスの理想を保持するものが多い。
斎藤のYou and Me Shopは、鑑賞者と交流し、共同で製作するというアイデアを内包した作品になっている。市場の出店に似た小さな店で、売り子としての作家が、アレンジされた小さなものやその素材、乾いた玉ねぎの皮、くるみ、木のかけらなどを提供している。 鑑賞者とのやりとりが、紙の皿の上へ素材を配置、選択して接合、定着などを行うことによって始まり、完成したオブジェクトを敬意を払うべき参加者へ手渡すことによって終了する。 (Virtual Museum of Modernism)[7]
デュッセルドルフでの生活と制作
1978年以降はドイツ・デュッセルドルフ に定住。フルクサス・コレクターのエリック・アンダーシュの支援で、学生寮の管理人室をアトリエとして使用して活動を開始。1979〜1983年にはエッセン大学で教鞭をとり、その収入で自身の出版レーベル「Noodle Editions」の事務所を設置し、フルクサス関連作品の需要に応えた。
1990年代から2000年代にかけて参加型アートが国際的に盛行すると、1960年代から先駆的な活動を続けてきた斉藤陽子への注目が高まり、大型のショップインスタレーション(2000頃~)や、5000個のペーパーキューブを使ったライン川のパフォーマンス(1999)、ワイヤーで体を吊ってサウンド・ドレスを着て飛行する「フライト」(2002~)など、スペクタキュラーな作品が生まれ、EU諸国を起点とする再評価に繋がっていった。
逝去
主な作品シリーズ
平面
無題(絵画・版画)
創造美育協会で銅版画を習得し、鳥や人間など具象的かつシュールなモチーフを制作。瑛九の影響で、抽象絵画・ドローイングへと移行し、初期の創作活動の基盤を築いた。[10]
フォトグラム
瑛九が「フォトデッサン」と呼んだのと同じく、カメラを使わずに光と影で像を定着させる技法。斉藤は、この手法を通じて、物質と光の関係性を研究した。[10]
羊皮紙ドローイング
羊皮紙に野菜ジュースや自然素材を塗布し、ろうそくやアイロンの熱で変化を加えて反応を探る創造的な実験の結果出来上がった作品。加熱により色や構造が予期せぬ形で現れる。[10]
オブジェ
ボックス(木箱)
ニューヨークでフルクサスと出会い、木組細工を応用した「ミステリー・ボックス」などを制作。精巧な構造と遊び心が融合した小立体作品。[10]
チェスセット
音や香りを伴う素材を駒に用いた、五感に訴える、実際にプレイできるチェスセット。遊びと関係性を重視し、フルクサスの理念を体現する代表的シリーズ。[10]
ブック(本)
各地の水とインクの反応を紙に写し取り、束ねて「ブック」として構成したもの。旅と感覚の記録として、偶然性と土地性を表現したオブジェ作品。[10]
ゲーム
遊びや参加を中心概念とし、勝敗よりも創造性や対話を重視した作品。演劇やワークショップにも展開され、観客が能動的に関わる空間を創出。[10]
パフォーマンス
ペーパー・キューブ
紙製の立方体に鈴や種子を入れ、観客が動かすことで音や動きが生まれる作品。即興性と参加性を重視した、斉藤陽子の体験型アートの象徴。[10]
ゲーミング・ウェア
着ることで遊べる衣装作品。指示文が記された服を通じて観客が参加し、作品が変化する。遊びと関係性を融合したアートの実践。[3]
サウンド・ドレス
音を発する仕掛けを施した衣装で、動きと音が連動するパフォーマンス作品。即興性と観客との対話を重視した身体表現。[10]
フライト
平和記念や追悼の意を表し、天井からワイヤーで体を吊り下げて、飛行しているかのように移動する、身体を使った大胆な表現。[10]
インスタレーション
ユー・アンド・ミー・ショップ
観客が素材を選び、作品を作り、持ち帰る“ショップ形式”の体験型アート。DIY精神と関係性の美術を具現化し、芸術の流通を問い直すもの。[10]
フリーダム(「…の自由」)
壁の上で観客が自由に変化させることができる構造の作品。枠や素材は作家が提供するが、完成は観客の手に委ねられ、遊びと即興性を通じて「自由」を体感させる。[10]
その他
ミュージック
「ペーパー・キューブ」「サウンド・ドレス」などを用いた音のパフォーマンス作品。即興性と日常性が融合した音響芸術であり、LPレコード化もされている。[10]
アーティストとしての特徴[11]
参加型アートの先駆者
斉藤陽子の作品は、ほぼすべてが観客との相互作用や共同制作を重視する「参加型アート」である。例えば、「ユー・アンド・ミー・ショップ」では、観客が素材を選び、作品を制作することで、観客が受け手ではなく創造者になった。これは、観客とアーティストの関係性を再構築するとともに、芸術の主観的・客観的価値と作品の流通の問題についての問題提起を行うものであった。 このような形式は、アートを「見るもの」から「関わるもの」へと変えという新しい芸術のあり方を提示し、特に1990年代以降、参加型アートとして隆盛した。
フルクサス運動への貢献
斉藤陽子は、フルクサスのエディション作品の制作に深く関わり、DIY精神とクラフトマンシップを融合させた作品群を生み出した。彼女の作品は、即興性・共同制作・日常性を重視するフルクサスの理念を体現しており、ジョージ・マチューナスの死後もその理念と活動の価値を社会に伝え続ける点で大きく貢献した。
感覚と遊びを重視した芸術の革新
斉藤陽子は、視覚以外の感覚を使う作品(嗅覚・聴覚・触覚など)により、芸術体験の幅を広げた。彼女のチェス作品やゲーミング・ウェアは、ゲームとアートの境界を曖昧にした。サウンド・パフォーマンスは、遊びやアート、音楽のジャンルを跨ぎ、融合させたものとなっている(ディック・ヒギンズはこうした芸術の在り方を「インターメディア」と呼んだ)。
芸術と生活の融合
斉藤陽子は衣服や家具など日用品も自作し、生活そのものを芸術として捉える姿勢を貫いている。これは、マルセル・デュシャンの「レディメイド」とは対照的に、労働とクラフトの価値を再評価するアプローチとされている。例えば、先述の「ユー・アンド・ミー・ショップ」では、観客と共に素材を選び、紙皿に配置して作品を完成させるというプロセスを通じて、芸術と日常の境界を曖昧にしている。
主な展覧会・パフォーマンス
| 開催年 | 展覧会名・内容 | 会場・都市など |
| 1999年 | 「ライン川沿いのパフォーマンス」:5000個のペーパーキューブをライン川に投げ込む | ライン川沿岸(ドイツ) |
| 2000–01年 | 「デュッセルドルフ大芸術展」:美術家賞を受賞 | デュッセルドルフ・メッセ(ドイツ) |
| 2001年 | グループ展「ドイツにおけるフルクサス 1962–1994」 | 国立国際美術館(大阪) |
| 2002年 | 「フライト」:ワイヤーを背中につけて空を飛ぶパフォーマンス | ヴィースバーデン美術館(ドイツ) |
| 2005年 | グループ展「前衛の女性1950–1975」に参加 | 栃木県立美術館(日本) |
| 2006年 | 個展「タカコ・メルカート」:会期中に「ゲーム・ファッション・ショー」を実施 | ヴィラ・クローチェ現代美術館(イタリア) |
| 2008年 | グループ展「不協和音 日本のアーティスト6人」:奇抜な衣装でのパフォーマンスが話題に | 豊田市美術館(日本) |
| 2012年 | 個展「ゼーヴェルク2012 斉藤陽子 フルクサスはさらに流れる...」 | ゼーヴェルク美術館(ドイツ) |
| 2014-5年 | 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイブによる斉藤陽子への7日間インタビューとウェブ掲載 | オーラル・ヒストリー・プロジェクト |
| 2017–18年 | 回顧展「斉藤陽子 叶える夢」 | ジーゲン現代美術館(ドイツ) |
| 2019年 | 回顧展「斉藤陽子 叶える夢」 | ボルドー現代美術館(フランス) |
| 2023年 | 回顧展「ピピボ、ボ 陽子の肖像」 | ボーフム美術館(ドイツ) |
| 2023–24年 | グループ展「アウト・オブ・バウンズ─フルクサスと日本人女性芸術家たち」 | ジャパン・ソサエティ(米国ニューヨーク) |
| 2025年 | 回顧展「斉藤陽子×あそぶミュージアム」 | 鯖江市まなべの館(福井県) |
| 2025年 | 「追悼斉藤陽子展 それでは、後で会いましょう」 | 鯖江市まなべの館(福井県) |