日光カンツリー倶楽部

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所在地 日本の旗 日本
栃木県日光市所野2833番地
開業 1955年昭和30年)4月3日
運営 メンバーシップコース
日光カンツリー倶楽部
Nikko Country Club
日光カンツリー倶楽部
日光カンツリー倶楽部の空中写真。
1976年9月29日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
栃木県日光市所野2833番地
座標: 北緯36度44分41.29秒 東経139度39分4.89秒 / 北緯36.7448028度 東経139.6513583度 / 36.7448028; 139.6513583
概要
開業 1955年昭和30年)4月3日
運営 メンバーシップコース
設計 井上 誠一
運営者 一般社団法人日光カンツリー倶楽部
トーナメント2003年 第68回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
2021年 第88回 日本プロゴルフ選手権大会
コース

OUTコース INコース
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4419 1 5518
2 4425 2 4455
3 3170 3 3235
4 5580 4 5547
5 4400 5 4350
6 4350 6 4415
7 4435 7 3207
8 3210 8 4410
9 5513 9 4422
363502 363559

その他
公式サイト 日光カンツリー倶楽部
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日光カンツリー倶楽部(にっこうカンツリーくらぶ)は、栃木県日光市所野に広がるゴルフ場である。 [1]

栃木県知事小平重吉には、「世界に名を知られた日光に、観光施設としてのゴルフ場を」との政策目標があった[1]。栃木県には、「那須ゴルフ倶楽部」があったが、東京人が造ったゴルフ場だといわれていた[1]。栃木県人の手でゴルフ場をという目的で、1952年(昭和27年)7月19日、小平は金谷ホテル加藤武男と相談し、栃木県で建設用地を確保し、建設工事も県営で行うことを約束した[1]

1952年(昭和27年)8月16日、「程ヶ谷カントリー倶楽部」の加藤恭平、「我孫子ゴルフ倶楽部」の杉田寧、「霞ヶ関カンツリー倶楽部」の加藤次郎、「相模カンツリー倶楽部」の島田善介の4名に対し、「日光ゴルフ建設に関する技術を嘱託する」との辞令を交付したことに始まる[1]。これは、ゴルフ界では初めてのことだった[1]

1953年(昭和28年)7月、発起人会が開催された、県知事、副知事、日光町(現在は日光市)、今井町、それに金谷ホテルなどが出席し、株主には東照宮輪王寺二荒山神社が加わった[1]。コース設計は井上誠一に依頼、建設候補地は大谷川の旧河床に決定した[1]男体山に向かって広く開けた土地で、日光の趣を感じさせたからだった[1]1954年(昭和29年)1月、各ホールの造成工事に着手した[1]1955年(昭和30年)4月3日、アウトコース9ホールが完成し、仮開場した、同年5月22日、インコース9ホールが完成した。1964年(昭和39年)、「社団法人日光カンツリー倶楽部」が設立された[1]

所在地

〒321-1421 栃木県日光市所野2833番地

コース情報

  • 開場日 - 1955年4月3日
  • 設計者 - 井上 誠一
  • 面積 - 770,049m2(約23.2万坪)
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、7,061ヤード、コースレート 73.0
  • グリーン - 1グリーン、ベント(ペンクロス)
  • プレースタイル - 全組キャディ付き
  • 練習場 - 15打席 200ヤード
  • 休場日 - 毎週火曜日、12月31日、1月1日[2]

クラブ情報

  • 理事長 - 松本 典文
  • 支配人 - 若林 梅夫 [3]

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

メジャー選手権

エピソード

  • 日光カンツリー倶楽部の敷地は、大谷川の旧河床で、明治年間に2度の大洪水に見舞われた時に生じた転石の荒地だった。表土が薄く5寸掘れば隠れ石でバンカーも掘れない土地だった[7]
  • コース設計した井上誠一は、「バンカーは少なくとも松の枝がきっと日光ならではのハザードになるから」と、バンカーは33カ所に止めた[7]
  • 日光のゴルフコースは、冬に凍り春凍ったフェアウェイが溶ける、それが40年続くとフェアウェイも平坦に見えて微妙にうねりが異なる、井上は自然の力を予想したのである[7]

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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