早川千吉郎
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石川県金沢市出身。明治20年(1887年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。明治22年(1889年)、同大学院農政学研究科修了。明治23年(1890年)1月、大蔵省入省。明治32年(1899年)日本銀行監理官。明治33年(1900年)辞職。
明治34年(1901年)、三井銀行専務理事。明治42年(1909年)三井銀行常務取締役。大正7年(1918年)、三井合名会社副理事長。1920年(大正9年)6月2日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任した[2]。加越能(石川・富山県)出身者のための東京の寄宿舎「久徴館」の館長を長く務めたほか、1916年には、地方改良運動の実施機関として設立された半官半民の教化団体「中央報徳会」に青年部を創設し、理事長を務めるなど青年教育にも尽力した[3]。
大正10年(1921年)5月、南満洲鉄道株式会社社長に就任し、論稿「日支共存共栄」を雑誌『斯民』第17編第1号に発表[3]。在職中の大正11年(1922年)10月、奉天高等小学校で演説中に突然卒倒し[4]、死去。墓所は鶴見区總持寺。
自宅のあった東京・二番町の土地は、その後日本テレビの本社になった。
