早川順一

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国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県
生年月日 (1960-03-02) 1960年3月2日(66歳)
所属団体 宇都宮競馬場
早川順一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県
生年月日 (1960-03-02) 1960年3月2日(66歳)
騎手情報
所属団体 宇都宮競馬場
初免許年 1984年4月21日
免許区分 平地
騎手引退日 2005年3月14日
通算勝利 15384戦2505勝
経歴
所属 早川実(栃木)
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早川 順一(はやかわ じゅんいち、1960年3月2日 - )は、栃木県出身[1]の元騎手地方宇都宮所属)。

1984年4月21日の宇都宮第4競走・ゴールドヒマヤ(10頭中9着)で初騎乗、翌22日の第6競走・ビーシーボルドで初勝利を挙げる[2] [3]

内田利雄平澤則雄鈴木正山口竜一と共に常にリーディングに定着し[4]1995年3月21日に1,000勝、1998年5月2日に1500勝、2001年3月19日には2000勝を達成[1]

1993年にはマロンデュークでとちぎ大賞典を制し、1995年には八汐賞を制した後、岩手モリユウプリンスブラッククロスと共に中央福島の吾妻小富士オープンに挑戦[5] [6]。当日は16頭中12番人気の低評価で11着に終わったが、テンジンショウグンとモリユウプリンスに先着した[5]

1995年のしもつけさつき賞ではグリンモリー産駒エヌケーオージに騎乗しハシノタイユウに大差を付けられての2着[7]に終わるが、北関東ダービーではハシノタイユウをクビ差抑えた[8]

2001年にはワカオライデン産駒でビゼンニシキブルードメアサイアーに持つワカオフラワー[9]で北関東クイーンカップを制し[10]、中央遠征ではアネモネステークスで13頭中11番人気ながらメンバー中最速上がり36秒4をマークして5着[11]、北関東ダービーでは11頭中10番人気ながら牡馬相手に3着[12]に入った[13]

2003年にはタヤスツヨシ産駒セイエイシェーンで第1回北関東桜花賞を制し[14]、牡馬相手に北関東三冠に太平記特別・サラブレッドカップ(高崎)・もみじ特別2着、牝馬限定でも北関東オークス・ひまわり賞水沢)で2着に入り、重賞で6連続を含む8度の2着を記録[15]2004年には南関東へ3度遠征し、大井TCK女王盃では13頭中13番人気ながらメンバー中最速上がり37秒1で6着[16]川崎エンプレス杯では14頭中14番人気ながら7着[17]船橋マリーンカップでは12頭中10番人気ながら7着[18]に入った。

2004年にはウイニングチケット産駒ウイニングマミーで北関東桜花賞では中団待機から最後の直線仕掛けると、道中最後方待機から直線伸びてきた1番人気イキマスキョウワを3/4馬身抑え快勝[14]。早川は同レースを連覇し[14]、北関東オークスでは圧倒的人気に応えて逃げ切った[19]

太平記特別ではエーススキャンで先頭からハナに立ってそのまま逃げ切り勝ちし[20]、暮れのベラミロード記念かもしか賞では圧倒的人気のバトルノホシで道中4番手追走から直線抜け出して楽勝[21]したが、かもしか賞が最後の重賞勝利[22]となった。

ヤマヨダイナミックでは4月11日中山第9競走山藤賞を4着[23]5月9日東京第6競走3歳500万下を5着[24]と続けて好走し[25]、しもつけ3歳スプリンターズカップでは先行してフジエスミリオーネの2着[26]に入った。

2004年は最終的に192勝で地元リーディングを獲得すると同時に全国リーディングでも5位に入り、明けて廃止が2ヶ月と迫った2005年1月には川崎の佐々木竹見カップ ジョッキーズグランプリに出場[27] [28] [29]

最終開催初日の2005年3月11日には第3競走C3ハ・コスモミューズ[30]で地方の現役で14人目、歴代では28人目(共に当時)の通算2500勝を達成し、翌12日の第7競走終了後に表彰式が行われた[31]

最終開催では地元ゆかりのスターホースの名を冠した特別競走が組まれたが[32]13日の第10競走サラノオー特別をヤマヨダイナミックで制し[33] [2]、同日の第12競走幸の湖賞・ツキノオペラヒメが最後の勝利[34]となった[35] [2]

最終日の14日は9鞍に騎乗し、第9競走キングオブスパーク賞・コレクトアンサーの2着が最高で、最後の騎乗となった平成16年度とちぎ大賞典はブンブクマーチャンで4着に入った[36] [2]

廃止後は現役を引退し、現在は競馬界から離れている[37]

通算成績

脚注

外部リンク

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