早潟
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隣接する町字
歴史
早潟村は、1886年(明治19年)に碇下新田、田巻新田、清左衛門新田、兵左衛門新田が合併して成立した[4]。
- 碇下新田(いかりしたしんでん)
- 1879年(明治12年)から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する[5]。
- かつては早潟という干潟で[6]、小見郷屋村請が改称して成立[7]。1886年(明治19年)に早潟村の一部となる。
- 小見郷屋村請(おみごうやむらうけ)
- 江戸時代から1879年(明治12年)まであった村名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名の由来は小見郷屋村の村請で開発されたことによる[8]。
- 1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた[8]。
- 田巻新田(たまきしんでん)
- 江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の藤野木村古料庄屋、田巻三郎左衛門にちなむ[9]。
- 1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた[9]。
- 清左衛門新田(せいざえもんしんでん)
- 江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の小瀬村庄屋、熊谷清左衛門にちなむ[10]。
- 1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、近隣4か村が開発に着手。1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた[10]。
- 兵左衛門新田(へいざえもんしんでん)
- 江戸時代から1886年(明治19年)まであった新田名。角田山の北東、西川左岸の低平地に位置する。地名は開発者の田島村庄屋、玉木兵左衛門にちなむ[11]。
- 1820年(文政3年)の内野新川開削により、潟湖早潟の干拓が可能となり、藤木村新料の庄屋、内山左衛門が願人となって開発に着手。のちに兵左衛門に譲渡された[11]。
- 1825年(文政8年)に完成し、幕府出雲崎代官所の検地を受けた[11]。