曽和 (新潟市)

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曽和
曽和の位置(新潟市内)
曽和
曽和
曽和の位置
曽和の位置(新潟県内)
曽和
曽和
曽和 (新潟県)
北緯37度50分19.4秒 東経138度56分19.59秒 / 北緯37.838722度 東経138.9387750度 / 37.838722; 138.9387750
日本の旗 日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
西区
人口
2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
  合計 184人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
950-2144[2]
市外局番 025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート 新潟

曽和(そわ)は、新潟県新潟市西区町字郵便番号は950-2144[2]

隣接する町字

1889年(明治22年)から現在の大字。角田山北東、西川左岸堤防沿いに位置する[4]

もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった曽和新田村の区域の一部で、地名は、村の肝煎朝妻曽和治にちなむ[4]

北から東回り順に、以下の町字と隣接する。

  • 内野戸中才
  • 内野早角
  • 高山
  • 新通
  • 笠木
  • 田島
  • 内野潟端

歴史

元和年間から寛永年間に当地に移住した朝妻儀右衛門によって開発。当初は儀右衛門新田と称したが、のちに朝妻曽和治にちなんで改称した。

朝妻儀右衛門は近江国朝妻郡の豪族で、織田信長に敗れて信州に逃れた。また、弟の嘉左衛門が金巻新田を開発した。

編入した町字

1889年(明治22年)以後に、以下の町字を編入。

下泉(しもいずみ)
1889年(明治22年)から1962年(昭和37年)までの大字[5]
もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった下泉村の区域の一部で、1879年(明治12年)まであった泉村が西蒲原郡内に2村あったため下泉村に改称した[6]
1649年(慶安2年)の検地により成立[6]

年表

世帯数と人口

2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字世帯数人口
曽和 56世帯 184人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

番地小学校中学校
全域新潟市立笠木小学校新潟市立中野小屋中学校

主な企業・施設

交通

道路

脚注

参考文献

関連項目

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