昌城郡

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漢字: 昌城郡
片仮名転写: チャンソン=グン
ローマ字転写 (MR): Ch'angsŏng kun
昌城郡
位置
各種表記
チョソングル: 창성군
漢字: 昌城郡
片仮名転写: チャンソン=グン
ローマ字転写 (MR): Ch'angsŏng kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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昌城郡(チャンソンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安北道の北部に位置する郡。

鴨緑江沿岸に、西北から東南へ細長く伸びる郡である。西北は水豊ダムのダム湖に面しており、対岸は中国である。西に朔州郡、南に大館郡、東南に東倉郡、東に碧潼郡と境界を接している。

行政区画

1邑・1労働者区・15里を管轄する。

  • 昌城邑(チャンソンウプ)
  • 楡田労働者区(ユジョンノドンジャグ)
  • 錦野里(クミャリ)
  • 達山里(タルサンニ)
  • 洛城里(ラクソンニ)
  • 峯川里(ポンチョンニ)
  • 新坪里(シンピョンニ)
  • 薬水里(ヤクスリ)
  • 於新里(オシンニ)
  • 鉛豊里(ヨンプンニ)
  • 玉浦里(オクポリ)
  • 完豊里(ワンプンニ)
  • 楡坪里(ユピョンニ)
  • 義山里(ウィサンニ)
  • 仁山里(インサンニ)
  • 豊徳里(プンドンニ)
  • 檜徳里(フェドンニ)

歴史

昌城は高麗時代には昌州防禦使が、李氏朝鮮時代には昌城都護府が置かれた北辺の警備のための拠点であった。郡内の地名にも「倉」の付く地名が多いのは軍需物資を備蓄する倉庫が各地に建てられたからとされる。

植民地期までは9面から構成されていた。水豊ダムの建設により鴨緑江沿いの昌城面(郡庁所在地)・昌州面・田倉面が水没した。1940年にはダム工事に伴い昌州面・田倉面・祐面が昌城面に編入され、郡庁は祐面地域に移転している。1952年の行政区画再編により、旧昌城郡の昌城面・新昌面から構成される昌城郡(1邑18里)が再編成された。現在は1邑1労働者区15里から構成されている。

朝鮮戦争時は1950年後半に北朝鮮が国連軍に押されて鴨緑江沿いまで追い詰められ、金日成は昌城付近を転々としたという。戦後も金日成は何度もこの地を訪問し、水豊湖畔に昌城官邸を建設するなど、最高指導者一族にゆかりの深い地となった。

年表

この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道昌城郡に以下の面が成立。(9面)
    • 府内面・南倉面・昌州面・田倉面・祐面・東倉面・大倉面・新倉面・青山面
  • 1918年 - 府内面が昌城面に改称。(9面)
  • 1939年 - 南倉面が昌城面に編入。(8面)
  • 1940年 - 昌州面・田倉面・祐面が昌城面に編入。(5面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道昌城郡昌城面および新倉面の一部地域をもって、昌城郡を設置。昌城郡に以下の邑・里が成立。(1邑18里)
    • 昌城邑・錦野里・玉浦里・達山里・仁山里・義山里・上里・中里・間巌里・峯川里・楡坪里・楡田里・新坪里・洛城里・鉛豊里・檜徳里・豊徳里・於新里・完豊里
  • 1953年 - 東倉郡和豊里の一部が鉛豊里・檜徳里に分割編入。(1邑18里)
  • 1963年 - 中里・間巌里が合併し、薬水里が発足。(1邑17里)
  • 1970年 - 上里が薬水里に編入。(1邑16里)
  • 1972年 - 楡田里が楡田労働者区に昇格。(1邑1労働者区15里)

産業

脚注

外部リンク

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