龍川郡
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行政区画
1邑・3労働者区・19里を管轄する。
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歴史
現在の龍川郡の範囲は、1952年の北朝鮮の行政区画改変によってほぼ形作られたもので、それまでは現在の塩州郡も含んでいた。また、現在の薪島郡は1988年に龍川郡から分離したものである。
1903年にはロシアが龍岩浦の軍港化を図り(龍岩浦事件)、日露戦争へつながる問題の一つとなった。日本の統治時代には、郡庁が置かれた龍岩浦、その南に工業地として造成された多獅島(現在は塩州郡に属する)が中心地であり、新義州と龍岩浦・多獅島を結ぶ多獅島鉄道沿線が工業地帯となった。1943年には東洋軽金属(後の三井軽金属)楊市工場がアルミニウム精錬を開始、終戦時の従業員数は千人を超え、生産能力は2万トンであった[1]。
年表
この節の出典[2]
- 高麗 - 安興郡が設置される。
- 1014年 - 龍州が設置される。
- 1413年 - 龍川郡が設置される。
- 1895年5月 - 義州府に属する(二十三府制)。
- 1896年 - 平安北道に属する(十三道制)。
- 義州郡の一部(光化面・楊上面・楊下面・楊西面・弥羅面)を編入。
- 1903年 - 龍岩浦事件。
- 1910年10月1日 - 龍川府が龍川郡に改められる[3]。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道龍川郡に以下の面が成立。(12面)
- 府内面・府羅面・北中面・内中面・外上面・外下面・邑東面・東下面・楊光面・楊下面・楊西面・薪島面
- 1918年 - 府内面が龍川面に改称。(12面)
- 1928年5月 - 郡庁が龍岩浦に移る。
- 1941年4月1日 (12面)
- 1941年10月1日 - 龍川面が龍巌浦邑に昇格。(1邑11面)
- 1943年10月1日 - 楊光面の一部が義州郡枇峴面に編入。(1邑11面)
- 1945年(光復直後) (12面)
- 龍巌浦邑が龍巌浦面に降格。
- 邑東面が東上面に改称。
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道龍川郡龍巌浦面・北中面・楊下面・楊西面・東下面・薪島面および府羅面・楊光面の各一部、新義州市の一部地域をもって、龍川郡を設置。龍川郡に以下の邑・里が成立。(1邑29里)
- 龍川邑・辰興里・徳興里・西石里・龍巌浦里・徳昇里・長山里・秀城里・双鶴里・北中里・五興里・新巌里・龍松里・楊西里・西北里・龍淵里・東新里・見一里・双龍里・東下里・仁興里・鶴興里・山斗里・薪島里・薪西里・城西里・土城里・楽元里・三龍里・倉浦里
- 1953年 (1邑29里)
- 龍川邑の一部が新巌里・山斗里に分割編入。
- 五興里の一部が龍川邑に編入。
- 東新里の一部が土城里に編入。
- 1954年 (1邑1労働者区23里)
- 徳興里の一部が龍巌浦里に編入。
- 北中里の一部が双鶴里に編入。
- 北中里が北中労働者区に昇格。
- 城西里・土城里・楽元里・三龍里・倉浦里および山斗里の一部が新設の光城郡に編入。
- 1961年 - 双鶴里の一部が龍松里に編入。(1邑1労働者区23里)
- 1963年12月 (1邑3労働者区21里)
- 薪島里および薪西里の一部が合併し、薪島労働者区が発足。
- 龍巌浦里が龍巌浦労働者区に昇格。
- 1967年10月 (1邑3労働者区19里)
- 薪西里・薪島労働者区および西石里の一部が新設の薪島郡に編入。
- 辰興里が辰興労働者区に昇格。
- 1969年 - 薪島郡薪島邑・薪西里・緋緞ソム労働者区を編入。(1邑4労働者区20里)
- 薪島邑が緋緞ソム労働者区に編入。
- 1982年 - 薪西里が黄金坪里に改称。(1邑4労働者区20里)
- 1988年7月 - 緋緞ソム労働者区・黄金坪里および西石里の一部が新設の薪島郡に編入。(1邑3労働者区19里)
- 2004年 - 龍川駅列車爆発事故。
交通
産業
教育
- 工業大学
- 共産大学