星ヶ城山
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概要
「小豆島」(しょうどしま)は、瀬戸内海に浮かぶ島々のうち、淡路島についで2番目の面積を有する島である。(面積;約153km3)
その最高峰である「星ヶ城山」は、標高;816.0mで、淡路島の最高峰である「諭鶴羽山」(ゆずるはさん、標高;608m)より200m以上も高く、瀬戸内海の島々の中では最も標高が高い山である。[1] [2]
「星ヶ城山」は展望に優れ、近くの「寒霞渓」と共に、「瀬戸内海国立公園」に含まれる。[3] また「四国百名山」の一つにも選定されている。[2]
「星ヶ城山」は独立峰ではなく、小豆島の中央部を占める台地のうちの最高地点である。従って、遠くから見ても、どこが山頂かははっきりとは解らない。ここではこの台地のうち、その東部の星ヶ城山の山頂を含む一帯を、「星ヶ城山」の山体と見なす。 [注釈 3]
この山の山頂部は、行政区画的には、香川県 小豆島町(旧;内海町)に属する。なお台地状の山体の大部分も小豆島町に属するが、北西側斜面は、土庄町(とのしょうちょう)に属する。[4]
「星ヶ城山」の山頂部は、「東峰」(標高;816.0m)と、「西峰」(標高;約800m)に分かれており、それぞれに山頂の標識がある。その間は直線距離で300m程度である。[1]
「東峰」、「西峰」とも南側の展望が良い。特に「西峰」は展望が広く、眼下に麓の海岸線、その先に穏やかな瀬戸内海が広がり、遠望が利く日には更に、西の瀬戸大橋や、香川県本土部にある高松市街、屋島、五剣山なども望める。[1] [2]
「東峰」には一等三角点が設置されている。公式名称は「星ヶ城山」、標高値は815.96mである。[5] なお「西峰」には三角点、基準点は設置されていない。
また、山上台地の一角、「星ヶ城山」の山頂から西へ約1.5kmの地点は、「三笠山」(みかさやま、標識;670.9m)と呼ばれており、「寒霞渓ロープウェイ」の山頂駅もその近くにある。「星ヶ城山」の山頂部から「三笠山」にかけての一帯は、南西側にある「寒霞渓」を含め、その南面が崖状の急斜面となっており、南麓から見ると非常に険しい山容に見えるためと思われるが、全体を「険阻山」(けんそやま)とも呼ぶ。[4] [注釈 4]
「星ヶ城山」一帯の南面が険しい崖状地形であるのと対照的に、山頂部を含めた一帯は、穏やかな台地状の地形となっており、自動車道も麓から通じている。また後述の通りハイキングルートもある。
「星ヶ城山」という名前は、南北朝時代(14世紀)に、ここに、佐々木信胤(ささきのぶたね)という武将が作った「星ヶ城」いう名の山城があったことに由来する、という。[1] [2] [3]
登山ルート
麓から登る場合は、まず「寒霞渓」のロープウェイ山麓駅の脇から「寒霞渓」沿いに「表八景」と呼ばれる眺めを見ながら登ると、山上台地の一角、ロープウェイ山頂駅(標高;約600m)の近くに出る。南麓からはもう一つ、「寒霞渓」のうち「裏八景」と呼ばれる景勝地沿いのルートもある。[1] なおロープウェイ山頂駅までは「寒霞渓ロープウェイ」を使うとあっという間である。 [6]
ロープウェイ山頂駅の東側に「三笠山」(672m)があり、そこからは東へと、整備されたハイキングルートが山上台地の上に続いている。途中の「星ヶ城神社」を経て、「星ヶ城山」の「西峰」(約800m)に至る。更に10分ほど進むと「東峰」(816m)に着く。[1] [2]
また、頂上部の北側には「小豆島ブルーライン」と称する自動車道があり、車を使うと頂上直下まで行け、「星ヶ城山」の山頂までわずかな距離である。[3]
「星ヶ城」(山城)
律令制の時代(「奈良時代」)、「小豆島」全域は、現在の岡山県の一部に相当する「備前国」の「児島郡」に属していた。その後、南北朝の時代に、備前国の武将、佐々木信胤(ささきのぶたね)氏が小豆島を支配した。その際に現在の「星ヶ城山」一帯に作られた山城が、「星ヶ城」(ほしがじょう)であり、1339年に築城されたという。[7]
佐々木氏は、当初は北朝方だったが、のち南朝方となり、「星ヶ城」を拠点とし小豆島の各所に支城を築き全島を要塞化したという。その後、1347年には北朝方の「細川師氏」(ほそかわもろうじ)氏に攻め込まれ、1ヶ月ほどの激戦の末、佐々木氏の軍勢は敗北した。おそらくその際に「星ヶ城」も落城したと思われる。この戦いにより、小豆島全体が細川氏の領地となり、所属も讃岐国の勢力下となった。[7]
なお、城跡としての「星ヶ城」は、山頂部やその周辺に、色々な遺構が残っており、香川県指定の史跡に指定されている。[3]
地形
「概要」の項でも述べたように、「星ヶ城山」の山頂とは、小豆島の中央部にある山上台地のうちの一角である。この山上台地の部分は起伏が少ないが、南側は崖状となっている。また北側は南側ほど険しくないが、吉田川という川沿いに渓谷状となっている。[4]
この山上台地の部分は、地形学的に言うと「残丘」の一種で、上部に小起伏面を持っているので、「メサ」に分類される。[8][9][10]
瀬戸内海に浮かぶ「小豆島」(標高;816m)が、讃岐平野にある「飯野山」(讃岐富士、標高;422m)や「屋島」(標高;292m)などの山々に比べ、標高がかなり高い理由については、地形学、地質学の文献類でも明確に説明はされていない。
「地質」の項で述べるように、元々の基盤岩である「白亜紀」後期の花崗岩類が標高300m付近まで分布していることに加え、その上部に最大層厚 約400mもの「新第三紀」「中新世」の火山岩類が乗っており[11]、それらにより標高を稼いでいる、とも言える。
地質
地質概要
小豆島のうち、「星ヶ城山」とその一帯の地質構造は、その間に瀬戸内海を挟んだ対岸の、讃岐平野に点在する残丘群、例えば「飯野山」(讃岐富士)や「屋島」などと類似している。[11]
具体的には、「飯野山」や「屋島」などと同様に、「星ヶ城山」の地質構造は大きく見ると2層構造となっている。[11]
下部は、基盤岩としての「白亜紀」後期の花崗岩類からなる。これは、小豆島全体で見ると標高;200~350m付近まで分布しており、「星ヶ城山」山頂部にも近い「寒霞渓」付近では、標高;300~350m付近まで分布している。[11]
その花崗岩類の上には、「新第三紀」の「中新世」中期に生じた火山活動に伴う火山岩類が小豆島の中央部を中心に広く分布している。[11][10]
詳細な地質
小豆島の詳細な地質研究によると、小豆島に分布している「中新世」中期の火山岩類は、まとめて「小豆島層群」とよばれているが、場所や岩相の違いから、10種類以上に細分化されている。[12][13]
ここでは少し簡略化して説明するが、「星ヶ城山」山頂部の南側斜面や「寒霞渓」付近では、標高300~600m付近までは、まとめて「神懸山火砕岩類」(かみかけやま かさいがんるい)と呼ばれる、主に「凝灰角礫岩」からなる火山岩類が分布している。これらの一部は水中で噴出したと推定される地質学的な証拠が確認されている。また「寒霞渓」に分布する火山岩類の解析からは、「寒霞渓」付近に噴出中心の一つがあった、とも推定されている。[12][13] [14]
この凝灰角礫岩を主体とする火山噴出物は固結度が弱くて浸食に弱い為に、浸食により大きく削られた「寒霞渓」の崖状地形を形成していると考えられる。[8][9]この凝灰角礫岩層は、「寒霞渓」の岩峰群も形成している。
さらに最上部、「星ヶ城山」の山頂を含む台地上部は、安山岩質の溶岩からなっている。そのうち「星ヶ城山」山頂部付近のものは「星ヶ城溶岩流」と呼ばれている。[12][13][14]この溶岩層は硬くて浸食にも強い為、いわゆる「キャップロック」(cap rock)となって、下部の浸食に弱い凝灰角礫岩などを浸食から保護している役割を果たしている。[8][10]「寒霞渓」付近は、元々はこういう浸食に強い層が上部にあったのかもしれないが、現在は、それらが失われている為、浸食が進んで崖状地形を形成していると推定される。
これら小豆島の上部を形成している、「新第三紀」「中新世」中期の火山岩類が形成された火山活動は、まとめて「瀬戸内火山活動」と呼ばれている。また、その火山活動によって形成された火山岩類は、まとめて「瀬戸内火山岩類」と呼ばれている。この「瀬戸内火山岩類」は、この小豆島のほか、讃岐平野の低山の多くや、近畿地方の一部にもみられる。[15]
この「瀬戸内火山岩類」を噴出した火山活動の要因としては、約20~15Maにかけて[注釈 5]、元々はアジアの北東部に位置していた日本列島の元となる部分が、日本海の開裂、拡大とともに、分裂しながら移動した。四国を含む「西南日本ブロック」[注釈 6]は南へと移動した。その後、現在の四国にあたる地域は、まだ比較的温度が高かった当時の「フィリピン海プレート」の上に強制的に乗り上げる恰好となり、その結果、プレート境界部付近でマグマが形成された為に火山活動が起こった、と推定されている。[16]
「星ヶ城山」を含む、小豆島に分布する「新第三紀」「中新世」中期の火山岩類の噴出年代については、放射年代法やフィッショントラック法(FT法)により多数の測定がなされている。それらの結果によると、最下層で最も古い「内海累層」と呼ばれる火山岩類は 約14.4Ma、「寒霞渓」付近に分布する「神懸山火砕岩類」は約13Ma、最上部の「星ヶ城溶岩流」は約12.8Ma、という測定結果が得られている。[14][注釈 5]
