屋島

From Wikipedia, the free encyclopedia

標高 291.9 m
位置 北緯34度21分21秒 東経134度6分16秒 / 北緯34.35583度 東経134.10444度 / 34.35583; 134.10444
山系 独立峰
屋島
サンポート高松のシンボルタワーより
標高 291.9 m
所在地 香川県高松市
位置 北緯34度21分21秒 東経134度6分16秒 / 北緯34.35583度 東経134.10444度 / 34.35583; 134.10444
山系 独立峰
種類 メサ溶岩台地
屋島の位置(香川県内)
屋島
屋島
屋島 (香川県)
屋島の位置(日本内)
屋島
屋島
屋島 (日本)
プロジェクト 山
テンプレートを表示

屋島(やしま)は、香川県高松市に位置する、標高292mの台地状の山である[1]

山としては標高300mに満たない里山ではあるが、後述の通り、観光、歴史、ハイキングの場所としてよく知られている。

「屋島」の名称は屋根のような形状に由来し[注釈 1]、高松市のシンボルになっている[注釈 2]。また、古来から瀬戸内海の海路の目印となるランドマークでもあり、瀬戸内海での要衝の地でもあった[2]

「屋島」は、江戸時代までは陸から離れた「」であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田により徐々に埋め立てられ、陸続きになった。

ただし、「屋島」の南麓にある「相引川」を瀬戸内海につながる「水路」とみなした場合には、四国本島と切り離されているという見方も出来る。海上保安庁では屋島を「」として定めているが[3]、現在の法定区分は、高松市を形成する四国本島の扱いである。

全体の大きさは南北に約5km[4]、東西に約2km[4]のスケールである。

「南嶺ゾーン」[注釈 3]の一角には、一等三角点が設置されている。公式名称は「屋島山」、標高値は、291.85mである。[5] なお「北嶺ゾーン」には三角点、基準点は設置されていないが、地理院地図によると、最も高い場所は、282mと記載されている。

平坦な頂面の周囲に急な崖を持つ典型的な「メサ」状地形であり[4]、開析溶岩台地[6]と言える。なお「南嶺」と「北嶺」との間は、細い尾根で接続されている[1][4][7]

この山は、標高は低いものの、以下に記述の通り、色々な特色を持つ山であり、「四国百名山」のひとつに選定されている[8]

屋島山頂 一等三角点

「屋島」の東側と西側、および南の「相引川」沿いの埋立地は、住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定区域内に多くの人が集住している[9]。 この、「屋島」周辺部の地域は、「屋島地区」と呼ばれている。

この山の山上台地からは、多島海である瀬戸内海が眺められ、優れた展望景観を有しており、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園[10]として初の「瀬戸内海国立公園」に指定された[注釈 4]。 なお当初の指定区域は「屋島」を含む備讃瀬戸の一帯である[11][12]

考古学的には、この「屋島」には、重層の遺跡を有しており、それも加味して、1934年(昭和9年)11月10日、「国の史跡および天然記念物;屋島」に指定されている。なお史跡および天然記念物の指定範囲は、南麓にある「相引川」以北の全域と、その地先の100mの海面区域である[13][14][15]

歴史的にみるとこの「屋島」は、663年に朝鮮半島で起こった「白村江の戦い」の後に、山城としての「屋嶋城」が築かれ、山上の大部分が山城であったと推定されている。また、「南嶺ゾーン」[注釈 3]には、鑑真が創建したとの伝承をもつ「屋島寺」がある。また東にある「五剣山」との間は、古来の「檀ノ浦」(讃岐檀ノ浦)[注釈 5]と呼ばれる入り江で、治承・寿永の乱(源平合戦)における重要な局地戦の一つである「屋島の戦い」が、ここを戦場として繰り広げられた[15]。そのほかにも、「長崎ノ鼻古墳」(ながさきのはなこふん)[注釈 6]、「千間堂跡」(せんげんどうあと)[注釈 7]、「屋島経塚」(やしまきょうづか)、「長崎ノ鼻砲台跡」などの歴史的な建造物、遺跡類がある[16]

屋島スカイウェイ[注釈 8]が麓から通じている「南嶺ゾーン」は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されている。しかし、「北嶺ゾーン」は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[注釈 9][17] [18]

地質

「屋島」の地質構造は、大きく分けると2層構造となっている。下部は麓から標高 約150m付近までで、「白亜紀」後期の花崗岩類からなる。[4] [19] [20] [21] より細かく言うと、北側は狭義の「花崗岩」で、南側は花崗岩類の一種、「花崗閃緑岩」からなる。[22]

 それより上部、台地状の「南嶺ゾーン」から南北に延びる中軸部分の細い尾根、及び「北嶺ゾーン」は、「新第三紀」「中新世」中期の火山岩類からなる。これらの火山岩類は「讃岐層群」とも呼ばれている。 この火山岩類の大部分は安山岩質の「溶岩」であり、これが「屋島」の特徴である平坦な「溶岩台地」を形成している。[22] [19] [20] [21] 

なおこの「安山岩質」の火山岩は、岩石化学的な特徴から「讃岐岩質安山岩[注釈 10]や、「サヌキトイド[注釈 11]とも呼ばれ、「屋島」だけではなく、讃岐平野に分布する低山や溶岩台地に広く分布している。なお「屋島」の上部を形成する火山岩は、固有名詞として、「屋島溶岩」とも呼ばれることがある。[4][23]

 その他、この「安山岩」質溶岩が噴出するより少し前に噴出したと推定される、「デイサイト質」~「流紋岩質」の火山岩類が、「北嶺ゾーン」」の北東側斜面に分布している。[22]

 「南嶺ゾーン」へと南側から登る登山道沿いは、通称、「畳石」と呼ばれるものがあるが、これは前記の安山岩質の溶岩からなる、「板状節理」の露頭である。[15] [21]

この「屋島」上部を構成している火山岩類は、約1500~1200万年前に噴出した火山岩類であり、非常に古いものなので、これを噴出した火山がどの場所にあったかは不明である。なお「屋島」上部の「讃岐岩質安山岩」(「屋島溶岩」)の形成年代は、フィッショントラック法(FT法)によると、14~13Ma[注釈 12]という値が得られている。[4]

 讃岐平野に点在する、標高 300~600m程度の低山や台地の多くは、「屋島」と同様に、「白亜紀」後期の花崗岩類を基盤岩とし、その上部は「新第三紀」「中新世」中期の火山岩類で形成されている。この15~12Ma頃 [注釈 12] に生じた火山活動は、「瀬戸内火山活動」と呼ばれており、讃岐平野のほか、小豆島や愛媛県の一部、及び近畿地方の一部にも、その火山活動に伴う「瀬戸内火山岩類[注釈 10]と呼ばれる火山岩類が分布している。[23]

 この「瀬戸内火山岩類」を噴出した火山活動の要因としては、約20~15Ma[注釈 12]にかけて、元々はアジアの北東部に位置していた、日本列島の元となる部分が、日本海の開裂とともに四国を含む「西南日本ブロック」[注釈 13] は南へと移動し、現在の四国にあたる地域は、まだ比較的温度が高かった、当時の「フィリピン海プレート」の上に強制的に乗り上げる恰好となり、その結果、プレート境界部付近でマグマが形成された為に火山活動が起こった、と考えられている。[24] [4]

「屋島」を構成する岩石として主要なものは上記の、花崗岩類(白亜紀)と安山岩質溶岩(「讃岐岩質安山岩」);(新第三紀 中新世))であるが、それ以外に分布域は狭いが、以下2つの地質体が分布している。

ひとつには「雪の庭」と呼ばれる凝灰岩層がある。これは「屋島」の頂上台地に建つ「屋島寺」境内の一部に見られるもので、分布域は非常に狭く、層厚も1m程度と薄い。凝灰岩火山灰が固まったものであり、火山灰は火山噴出物として一般的なものであるが、お寺の境内というやや特別な場所にあることと、「雪のように白い」ということで知られている。[21]

また「屋島礫層」と呼ばれる礫岩層がある。これも「屋島」の頂上台地のうち、南嶺の三角点付近などにわずかに見られるもので、分布域は非常に狭い。溶岩台地の上にある堆積物ということで、古くから形成メカニズムなどが注目されていたもののようである。[25] 堆積した時代は明確ではないが、地殻変動により屋島の周辺部により標高が高い場所が形成された時代があり、その時代に、そこから浸食によって供給された湖沼性堆積物と推定されている。[21]

地形

「屋島」は、「地質」の項の通り、約1500~1200万年前(約15~12Ma)[注釈 12]に生じた火山活動により、より古い時代(白亜紀)の花崗岩類の上に、安山岩質の溶岩類(「讃岐層群」)が乗っている。

 その後、長い間の浸食作用によって、「残丘」として残ったものが「屋島」となっている。上部の火山岩が浸食に対して抵抗性が強かった為、地形学でいう「キャップロック」(cap rock)、つまり保護層のような役割をして、「残丘」となったと考えられている。[26] [27]

讃岐平野には、「屋島」と似たような、上部が火山岩類からなり、その後の浸食作用によって形成された「残丘」状の山や台地が多い。[26] 例えば「五色台」などは上部に広い平坦面を残しており、「残丘」のうち「メサ」と呼ばれる地形である。また「飯野山」(讃岐富士)や、「我拝師山」(がはいしやま)は、浸食がかなり進み、上部に平坦部を残しておらず、「残丘」のうち、「ビュート」と呼ばれる地形である。 [26] [28]

 この「屋島」は「南嶺ゾーン」に平坦面(小起伏面)が残っており、分類的には「メサ」に分類される。但し、高松市街から見ると、南北に平坦な部分が望め、広い台地があるように見えるが、地形図や実際に屋島の頂上部で見ると、台地状の部分は東西から浸食によってかなり削られており、「メサ」の地形としてはかなり末期の状態と言える。

 なお「屋島」は、1934年(昭和9年)に国の天然記念物に指定されているが、その理由の一つとして、「地形学的にみて典型的な「メサ地形」であるから」とされている。[15]

「屋島」はその名の通り、かつては独立した「島」であった。その後、四国本土部との間は、自然の地形的変化に加え、塩田開発などの為の人工的な埋め立てにより、現在のように、本土部とはつながった形(陸繋島)となっている。 なお、「屋島」の南端部には本土部との間を仕切るように、「相引川」という幅10mほどの水路状の川がある。

北方海上で屋島を遠望

歴史

屋嶋城の城門遺構
屋島山頂の談古嶺から相引川河口地域(立石港周辺一帯)を望む。[注釈 14]

山麓の浦生(うろ)集落にある「鵜羽神社境内」遺跡では、弥生時代の後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた「長崎ノ鼻古墳」に至る。一方「屋島」の山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代の屋島城(屋嶋城)築城に至る[1]

「屋島」の山上にある「屋島寺」(南面山千光院屋島寺)は、真言宗御室派古刹である。現在の地に位置する前は、「北嶺ゾーン」にのこる、「山岳寺院・千間堂跡地」に所在していたという。

「屋島寺」の寺伝によれば、「北嶺ゾーン」から「南嶺ゾーン」への遷移は嵯峨天皇勅願を受けた弘法大師(空海)によってなされた。鎌倉時代には盛衰を繰り返した。その後は荒廃していたが、江戸時代初期になって勧進による再興が果たされた。江戸時代中は、山田郡屋島の時々の領主(高松藩主)であった阿波生駒家知行期間:1587年-1640年)と高松松平家(知行期間:1642年-1871年)から庇護を受けて、整備された[29][1]

なお「屋島寺」のうち、元和4年(1618年)建立の本堂と、本尊である十一面千手観音像(木造十一面千手観世音菩薩坐像。10世紀頃の作)、および、梵鐘貞応2年〈1223年〉銘)は、国の重要文化財に指定されている[30][31](本堂と本尊は1955年〈昭和30年〉指定、梵鐘は1967年〈昭和42年〉指定)。

平安時代末における「屋島」は、治承・寿永の乱(源平合戦)の局地戦の一つである一ノ谷の戦いに敗れた伊勢平氏が、安徳天皇を奉じたまま撤退してきた四国東端の軍事要衝であったが、翌年の元暦2年2月ユリウス暦換算1185年3月頃[注釈 15])に源氏の追撃を受け、「屋島の戦い」の戦場となった。『平家物語』のほか、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられたの的を射落とした逸話などが、今日まで語り継がれている[29][32]

登山・ハイキング

「屋島」は前述の通り、「南嶺ゾーン」まで麓から自動車があるので、歩かずとも労せずに山上まで行けるが、高松市内からも近い為、手頃なハイキングの場所として、いくつかのハイキングルートがある。以下、簡潔に説明する。 [18]

・登山ルート 概略版

 麓から「南嶺ゾーン」へのルートとしては、複数のルートがある。南側の高松市街地(「屋島地区」)からのルートのほか、西からのルート、東からのルートがある。いずれも1時間もかからず「南嶺ゾーン」の一角へ出る。

 「南嶺」―「北嶺」ルートとしては、「南嶺ゾーン」の北端「談古嶺」(だんこれい)から先へと尾根を進む。痩せ尾根だがよく整備されており、30分あまりで「北嶺ゾーン」の一角へ着く。更に「北嶺ゾーン」の北端から下る道を進むと、岬状になった「屋島」の北端(「長崎の鼻」まで遊歩道が続いている。

・登山ルート詳細版

以下は、南麓から「南嶺ゾーン」ー縦走路ー「北嶺ゾーン」ー北端の「長崎の鼻」へのルートの詳細。

最寄駅から、屋島競技場屋島小学校屋島寺に至る、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国のみち・県道)を目指す。車止めを過ぎれば、舗装された歩行者専用道路になる。加持水(かじすい)、不喰梨(くわずのなし)、畳石(たたみいし)を経て、屋島寺の仁王門に到着する。屋島寺の本堂から四天門に折り返して西側のみやげ物店を通ると、「獅子ノ霊巌」(ししのれいがん)の展望所である。遊歩道を歩み、北嶺入口を越えると北東角の、「談古嶺」(だんこれい)展望所である。北嶺入口に折り返し、舗装された遊歩道を進むと、北嶺周回の三差路に出合う。三差路の奥に千間堂広場が広がる。東西の遊歩道か、千間堂広場から北上する土道の遊歩道を進むと北端で合流する。北方のウバメガシの林を抜けると、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)の展望所である。遊鶴亭から山道をジグザグに下ると[注釈 16]県道の北嶺登山口に出る。県道を横切り林の中の山道を進むと、未舗装の車道に下り立つ。北に進み階段を下れば、海が広がる砲台跡の長崎ノ鼻の先端に到着する。

帰路は車道を戻り、県道に出て、右折れして屋島西町方面に進むと、屋島健康ランド前のバス停に到着する。余裕があれば、最寄駅まで歩く。そして、本コースに、山上の南嶺南端の冠ケ嶽の折り返しを加える登山者もいる。[20]

山麓の最寄駅からシャトルバスが屋島山上を往復する。シャトルバスを利用した種々のコースで、登山者・ハイカーウォーカーは、四季折々に天空の散策を楽しむ[17] [33]

観光

四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、香川県内の小・中学生の学習場所としても活用され、香川県民も四季の屋島を楽しむ[注釈 17]

屋島の山上は、「南嶺ゾーン」と「北嶺ゾーン」に区分できる。[注釈 3]「南嶺ゾーン」には、四国八十八箇所霊場第84番札所の「屋島寺」、「蓑山大明神」、「屋島寺宝物館」、「新屋島水族館」などがある。また古代の山城である「屋嶋城」の城門遺構の復元と見学路が整備され、2016年(平成28年)3月からは一般公開されている[34][35]

屋島寺と祭事風景
瀬戸大橋(獅子ノ霊厳)
談古嶺で小豆島方面を遠望

「南嶺ゾーン」にある展望地;「獅子ノ霊巌」(ししのれいがん)からは、高松市街、石清尾山五色台瀬戸大橋大麻山(象頭山)などが望める。また同じく「南嶺ゾーン」にある展望地;「談古嶺」(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場や、東隣りにそびえる「五剣山」を望める。

一方「北嶺ゾーン」では、その北端にある展望地:「遊鶴亭」(ゆうかくてい)から、瀬戸内海が眺望できる。

これら3箇所の展望所とそこからの展望は、「屋島三大展望台」や、「屋島三大展望」と呼ばれている。

このうち「南嶺ゾーン」にある「獅子ノ霊巌」からの夕景は、四国八十八景80番に選ばれている。また、夕景・夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選[36]・「日本夜景遺産[37]・「夜景100選[38]に選定されている。

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、「北嶺ゾーン」の北端にある「遊鶴亭」に加え、「南嶺ゾーン」の南端にある「冠ケ嶽」では、讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山明石海峡大橋も視野に入る。

「南嶺ゾーン」の一角である「談古嶺」は、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳」・「八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。その他、女木島男木島大島は眼下、直島豊島も一望できる。

日本三名狸の1尊に数えられる化け狸太三郎狸(屋島太三郎狸)は、蓑山大明神として「屋島寺」の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている[39]井上ひさし著の小説『腹鼓記』に登場する屋島ノ禿狸や、高畑勲監督のアニメーション映画平成狸合戦ぽんぽこ』に登場する太三郎禿狸は、この化け狸をモデルとしている。

その他、「屋島」の名物としては、「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

屋島スカイウェイ[注釈 8]と呼ばれる道路は、「南嶺ゾーン」の東側斜面を縦走している。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西側斜面に出て駐車場(有料)に至る。東側斜面には、2か所の展望所がある。この道路は、「日本風景街道」[40]の「源平ロマン街道」[41]に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道でもある。

屋島スカイウェイ」の東側斜面中腹の山側に、 「ミステリーゾーン」 の表示板がある。この場所の路面は、上り坂が目の錯覚で下り坂に見えると言われている[42][43]

屋島スカイウェイ」山麓の山側には、徳川家康松平頼重を祭神とする「屋島神社」(讃岐東照宮)と、「四国民家博物館」(四国村)が立地している[32]

「屋島」東岸の入江(屋島湾)と、その入江を囲む、屋島東町牟礼町庵治町および、屋島の南に隣接した高松町付近は、源平合戦の「屋島古戦場」である。この辺りには、『平家物語』にも書かれた史跡が点在する[32]


屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年(平成23年)、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し[44]、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備・屋嶋城の城門遺構の復元・屋島スカイウェイ高松市道化)ほか、種々の活性化策が展開されている[2]

2017年(平成29年)、環境省の「国立公園満喫プロジェクト展開事業」に、「屋島の絶景プロモーション事業」が採択された。文化・観光の拠点となる、「屋島山上拠点施設」ほかの整備計画が展開されている[45]

やしまーる

高松市が整備する山上拠点施設をめぐっては、2019年から実施された入札が3度にわたって不調となり、市が予定価格を大幅に引き下げた4回目の入札(2020年2月)で高松市内の2事業者の共同事業体が11億1800万円で落札した[46]。ホテル跡に16億4千万円をかけて建設された施設は、2022年8月5日に「やしまーる」の名称でオープンした[47][48]

その他

  • 屋島の国有林は、四国の「レクリエーションの森の風景林」に指定され、北嶺にはウバメガシの純林などが広がる[49]
  • 屋島の818ヘクタールは、香川県の鳥獣保護区に指定されている[50]
  • 山麓から屋島寺に至る屋島登山道と、相引川側に沿った八栗寺に至る道は、国土交通省の「四国のみち」に指定されている[51]
  • 四国百名山」に「屋島」として選定されている[8]
  • 新日本観光地百選」や「日本二十五勝」などに「屋島」として選定されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と、市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用されている[52]
  • 屋島は当初、国の「名勝」として指定が検討されていた。しかし、屋島を含む備讃瀬戸が日本初の国立公園に指定されたため、名勝的価値は国立公園に委ねられた[53]

交通アクセス

南からの進入道路より

探訪

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI