映像
テレビ画面や映画館のスクリーンに映し出された画像と動画の総称
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映像(えいぞう)は、映画の時代の後に、テレビが普及した時代以降に広く使われるようになった用語・概念であり[1]、基本的に(スクリーンやモニタに映し出され)動いている画面のことである[2]。


テレビの登場とともに使われるようになった概念であり、もともと主にテレビの動いている画面、および(それ以前からあった)映画の動いている画面をまとめて指すために使われるようになった用語(総称)だが、その後、ビデオ、コンピュータ・グラフィクス、アニメーション、ホログラフィーなど、(化学、電子、光学技術などの技術を使い、再現または創作像も含めて)、ともかく動いている視覚像を指すようになった[2][1][3]。
- 対比される概念
"映像"のもうひとつの意味・用法は、テレビ番組、ビデオ映画、映画などを一種のメディアや "業界" としてひとくくりにとらえるための用語としての用法である。たとえば「映像畑」などの形で用いられる。映像はしばしば活字(書籍、出版)と対比される[1](例:『映像の世紀』[注 2])。また"映像"は舞台とも対比される。
なお、ややこしいことだが、人により"映像"の用語の用法が異なる。一般に、映像から写真を除外する用法が一般的であるが、一部の論者は、映像に写真を含める[4]。後者の用法だと、"映像"は、動く像と静止画の総称ということになる[4]。
上述のように"映像"は多義語なので、下で節を分けて解説する。
動く像
映像は時間に沿って変化する内容が記されたものである[2][5][6]。英語表現ではムービー(movie)[7][注 3]、ビデオ(英: video)[8][注 4]という。
特性
映像は、他の媒体 (メディア) と異なる様々な特性を持つ。
なお富野は実写とアニメーションは映像媒体である、という意味では同質だという[9]。つまり、実写とアニメはともに同じ特性を持っていると指摘されている。
映像は経時変化する画であり、絵の動きそのものが流れているものである[2][10]。
構図も時間とともに変化させることが可能である [11][12]。
映像は各時点のコマがフレームを伴った画でありかつ物理的時間を内包している。そのため映像は時間の進展に合わせて画が変化しうる、経時変化する画である[2][10][11][12]。
以下で映像の特性について解説する
- 時間の推移を描く
映像は時間の推移を描き、同一「枠」で情報を多角的に描くことができる[12]。
- 物理的時包
映像は時間経過を含んでいる[13][14]。 映像作品は時間芸術の一種であり[6][15]、映像のなかに物理的・時計的な時間[注 5]が含まれている[14]。
そして映像作品は、観客の視聴時間を支配する[16][12][6][15][17]。 作品側が各コマの表示タイミングを物理的な時間で規定しており、作品自体がこれを決定し、作品の鑑賞者はこれに支配される[18][16][15]。
この特性は、一枚絵であり鑑賞時間の長短が鑑賞者の自由裁量である絵画とは大きく異なる[19]。また、映像は漫画とも特性が異なる。(漫画のコマの順序は作品側が規定するが)漫画を読む時間の長短(読む速度)は鑑賞者に委ねられる[20][21]。更に、行・文字の順序は作品側が規定するが読む速度(≒時間)は鑑賞者の自由裁量である活字媒体とも異なる[19][21]。
映像が内包する物理的時間は、作品側が規定する鑑賞速度である[15][16]。作者と鑑賞者はこれを所与の基準値(= 1倍速)として共通認識しているが[22]、観測者が必ずこの基準速度で鑑賞するとは限らない[23][24]。ほとんどの映像再生機器・ソフトウェアが早送り機能を有しているのはこの現れである。
この特性は鑑賞者が映像のまえに長時間居続けることを要請する[17]。そのため特に娯楽映像作品において鑑賞者が飽きない・時間を忘れるような工夫が必須となる[25]。
- フレーミング(切り取り)という概念

映像は対象や空間をフレーム(枠)で切り取ってキャンバスとしての画面上に表現する[13][26]。実写映像制作ではカメラが、アニメーション制作ではキャンバスと撮影機器がフレームを規定する。撮影現場では監督がカメラマンに対して「フレーミングはこういう感じで」などと指示を出し、アニメーションでも、頭でイメージする舞台に架空のカメラを置いて、世界の一部を切り取るようにして絵コンテを描く[27][28]。つまり作品側がモノの見え方をフレームとして規定しており、鑑賞者にはこの視点のみが与えられ、この規制は演劇作品よりも厳しいと言える[29]。
また、映像では"視覚印象の力学"とでも呼べるような原理も働いている[30]。
映像のこの特性は、活字媒体とは大きく異なる。また、視覚的に表現されるがフレームが無く、ある座席の固定視点から舞台という物理的空間を直接見る演劇とも異なる[29]。
- 他の媒体との共通点と相違点
なお、映像は、絵画や漫画がキャンバスやコマというフレームをもちそのなかに絵が描かれる点は共通している[31]が、絵画や写真や漫画のひとコマは切り取られた"瞬間"の意味を表現しているので、そこが映像と絵画・写真・漫画のコマでは異なっている[32]。
- 観客を時間的に拘束する
映像作品は観客を時間的に拘束する[33]。たとえば長さが20分の作品なら、観客は20分間拘束されることになる。
観客を時間的に拘束するという特性は、演劇や歌唱(など音楽作品)と共通している[34]。
- 動きが表現できる
映像は動きを視覚的に表現できる[35]。
映像は経時変化する画でありかつヒトは視覚的な運動知覚をもつため、映像は物体の動きを視覚的に表現できる[35][33](詳細は#コマ送りに動きを知覚する原理)。実写ではカメラで実際の物体運動を撮影することによって、アニメーションでは作画によって、動きの映像を生み出せる。典型的には隣り合ったコマが同じ対象の少し異なる状態・ポーズを描くことで動きが生まれる[35]。
この特性は、動きを視覚的に表現できない活字媒体と大きく異なる。
また、線を用いていちおうは躍動感は表現できるが時間を持てない絵画とも異なる。
漫画との比較では、漫画は静止画に躍動感を与えるさまざまな技法があり[36]、漫画でも速度や軌跡や方向を示唆する技法はある。だが、漫画は時間を内包せず、時間を規定できない[36]。
動的な構図による視覚印象
映像は構図の経時変化が視覚印象を生む[11][37][38]。
映像は各コマがフレームを伴う画であるため、(静的な)構図をもちそれによる視覚印象を発生させる[39][40]。さらに映像は経時変化する画であるため構図も経時変化し[11][41][42]、この構図の経時変化(動的な構図)もまた特有の視覚印象を発生させる[38]。この視覚印象は単一カット内での動きでもカットを跨いだ構図変化でも起きる。具体例は #動的な構図 を参照。
この特性は、構図の経時変化が起きる点で演劇と共通している。一方で演劇はリアルタイムの物理的移動を伴うためその変化量には限度があるが、映像はカット割りやVFXで任意の急激な構図変化をおこせる点で異なる[43][44]。
この動的な構図による視覚印象は映像演出に広く利用される[45]。これは動的構図の視覚印象が最終的に心情レベルの印象を喚起するからである[46]。例えばサイズ縮小の動的構図でキャラクターを描くことで、「遠ざかる」という視覚印象から「心の距離が離れていってしまう」という心情的印象を与えると期待できる[37]。
内容の連続性
映像は内容の連続性をもち、また不連続性を容易に発生させる[48][49]。
映像は一連の画/コマを時間に沿って表示したものであり(⇒ #経時変化する画)、コマの間に時間的な連続性がある。また映像断片をバラバラに撮影しそれらを単純に繋ぐことでも連続した画面が得られる[50]。
一方で映像は単なる独立した静止画の連続ではない。隣り合ったコマが同じ対象の少し異なる状態・ポーズを描くことで動きや空間を表現できる(=カット)[51]。カット間でも同様で、演技や絵自体のつながりによってより広い時空間を表現できる[48][52][51]。このように映像は内容の連続性(映像的なつながり[53])をもちうる。
しかし内容の連続性は容易に途切れる。隣のコマと全く異なる画を表示するとコマ間が不連続になる(=異なるカットになる)。また設計無しで用意した複数のカットを単純に繋いでも映像的なつながりは得られず不連続になる[49]。他にもコマ間・カット間でキャラクターの作画が異なっていれば「これは同じキャラなのか?」という余分な思考が発生してつながりが弱まる[54]。またこの思考をするための時間が必要になり、映像の物理的な展開速度を落とす必要が出てくる[55]。
この特性は映像制作時に連続性を設計することを要請する。そのため映像制作では絵コンテ(映像のコンティニュイティ/連続性を可視化する設計図)がしばしば利用される[56][57]。
- 物理的な空間の表現が得意
映像媒体は物理的な空間の表現が得意である。この特性は、空間を視覚的に表現できない活字媒体と大きく異なる。 なお、漫画でも「コマ割りされたパノラマ画」のような空間表現やカット割り的な画の跳躍を含むコマ割り空間表現がよく用いられており、いちおう空間表現ができる[58]。だが、映像媒体のほうが漫画よりも空間表現が得意であることは言うまでもない。
技法
映像に関する様々な技法が存在する[45]。以下はその例である:
- 空間の表現技法
単一フレームの外まで物語空間を拡張する場合は、カメラの運動やショットの連結を使う[59]。
典型的にはパン、ドリーなどのカメラワークや連続性のあるカット割りによって表現される[59]。
- 注意点 ─ ただしカット割りを用いる場合は、背景の類似性や視線管理などによる連続性を意識して作成しなければならない[60]。
- カメラアングル
- カメラポジション
- カメラワーク
- フレーミング
- エスタブリッシング・ショット
- ショットサイズ[61]
- クローズアップショット
- バストショット
- フルショット(フルフィギュアショット)
- ロングショット
- イマジナリーライン
- 映像編集(映画編集)
動的な構図
映像を演出するために様々な動的な構図とその視覚印象が利用される[37]。以下はその一例である:
サイズ変化
物体のサイズが画面上で経時的に変化する構図は演出に利用される[45]。
典型的には「経時的にサイズが大きく/小さくなる」という構図を取る。これは視覚的に「強まる/弱まる」「近づく/遠ざかる」という大枠の印象を生み出す[63]。物体との組み合わせにより、例えばサイズ縮小構図でキャラクターを描くことで「心の距離が離れていってしまう」という心情的印象を与えると期待できる[37]。
この構図は以下の3つの方法で実現できる[64]:
- カメラと物体の距離変化[63]: 物体移動 or カメラのドリーイン/アウト(トラックアップ/バック)
- カメラの画角変化: ズームアップ/ズームバック
- カット割りと物体の取り替え: (モンタージュ的に)各カットの同じ位置にサイズの異なる別の物体を配置
この視覚印象は単一カット内での動きでもカットを跨いだ構図変化でも起きる。
余白の継続と充足
画面上の大きな余白が継続し充足される構図は演出に利用される[65]。
画面上で物体を寄せて配置した場合、反対側に余白が生じる。映像は経時変化する画であるため、この余白が少し続くと鑑賞者は「何か来るかも」という大枠の印象を抱く[65]。そしてこの余白が物体の移動・登場で充足されると「来た」「現れた」「進んだ」という印象が喚起される[65]。このように余白の継続と充足は動的な構図として印象を喚起する。これと対照的に、余白が余白のまま継続すると「変わらない」「継続」といった印象を生む[66]。
余白の継続と充足を演出に用いることで、「ドキドキ」「ワクワク」といった期待感、予測とその実現の気持ちよさ、対立する存在の登場、といった心情的印象を与えると期待できる[66]。余白の継続を演出に用いれば、安定感あるいは不安定感が継続するといった印象が期待できる[66]。
方向の継続と転換
方向が継続し転換する構図は演出に利用される[67]。
映像は経時変化する画であるため、変化が一定の方向へ継続して起こるケースがある。また目線など方向性をもった主題が描かれ、これが継続してその方向性を示すケースがある[68]。そして継続していた方向が別の方向へ転換すると「変わった」「展開した」という印象が喚起される[69][70]。このように個別のモチーフとは独立した方向自体の継続と転換は動的な構図として印象を喚起する[71]。これと対照的に、方向が一定のまま継続すると「変わらない」「継続」といった印象を生む[72]。
方向の継続と転換を演出に用いることで、「ドキドキ」「ワクワク」といった期待感、予測とその実現の気持ちよさ、対立する存在の登場、といった心情的印象を与えると期待できる[73]。方向の継続を演出に用いれば、安定感あるいは不安定感が継続するといった印象が期待できる。
原理
コマ送りに動きを知覚する原理
現実世界は時間と運動が滑らかであり連続的(アナログ)だが、映像はコマ送りであり離散的(デジタル)である。ヒトの感覚はアナログな現実世界を認識するよう作られているため、離散的な映像を見て「滑らかに動いている」と感じられる保証はない。しかし実際にはヒトは(適切に作られた)映像を見て「滑らかに動いている」と感じられる[35]。このヒトの奇妙で便利な特性がどのような仕組みで生まれているか、様々な研究がなされてきた[74]。
映像の各コマは実際には動いていないため「滑らかに動いている」という認識は運動錯覚である。特に映像は視覚刺激であるため、運動錯視の一種といえる[75]。単純な図形のアニメーションで運動錯視は検証可能であり、ベータ運動やファイ現象と名付けられた運動錯視が見つけられ、その生物学的・心理学的原理が研究されている[76]。
かつては映像の原理は残像効果で説明されていたが、毎秒24コマで成立する映像の原理としては科学的に否定されている[77]。
